防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
12. 地盤条件は地震動の増幅度を決め地震被害の規模を規定する基本的な要因である -1891年濃尾地震,1923年関東地震,1948年福井地震,1985年メキシコ地震など
表層地盤の震動増幅
表層地盤の震動は,地震波速度の低下および共振という2つのしくみによって増幅されます.地震の主要動はS波で,その伝わる速度は地層・岩石の硬さ(剛性率)の平方根に比例します.S波速度 (m/秒) のおおよその大きさは,硬い岩盤で3,000程度,洪積層500前後,ローム150,密な砂質土250,緩い砂質土150,硬い粘性土220,軟らかい粘性土140,泥炭80などです.地下深部から表層に伝播してきた地震波は地表面で反射して戻っていきますが,この反射波の一部は最表層の軟らかい地層の下面で再び反射して,地層内に閉じ込められます.この閉じ込めの部分は地層が軟らかいほど大きくなるので,軟らかい表層地盤では地震動が大きく増幅されます.
物体はすべて(地盤も建物も)その大きさや重さなどによって決まる最も揺れやすい周期(固有周期)を持っています.地盤の場合,軟らかいほど,またその層厚が厚いほど,固有周期は長くなります.伝播してきた地震波の周期が地盤の固有周期に一致すると,共振が生じて地震動のエネルギーがむだなく取り込まれ地盤は大きく揺れます.地震波にはいろいろな周期の波が重なっていますが,通常0.5~1.0秒ほどの周期の波が最も多く含まれます.この周期は,平野を構成する未固結の砂泥層(沖積層)の固有周期にほぼ一致します.また,一般の木造家屋や中・低層のビルの固有周期もほぼこの範囲にあります.このようなことの結果として,建物・構造物の被害は沖積平野のような軟らかい地盤のところで大きくなるということが,地震災害のたびに認められます.
1891年濃尾地震の被害と地盤条件
1891年濃尾地震 (M8.0) は最大の規模の内陸地震で,被害は死者7,273人,住家全壊142,177戸など甚大なものでした.被害は断層が生じた根尾谷と濃尾平野に集中しました(写真12.1 濃尾地震による断層).濃尾平野は木曽川のつくる平野で,木曽山地から流れ出たところに広い扇状地をつくり,その先に氾濫平野ついで三角州を展開させています(現在では広い干拓地・埋立地が続いています).周辺の山地・丘陵地との間には台地がかなり広く分布します. 氾濫平野と三角州は軟らかい砂泥の沖積層,扇状地は砂礫質,台地はかなり締まった砂泥層,山地・丘陵は固結岩でそれぞれ構成され,地形種別と地盤条件とはよい対応関係を示します(図12.1 濃尾平野の地形・地盤と住家全壊率分布).
愛知県・尾張地方の町村単位で,震央からの距離と住家被害率との関係を地形別に示したのが図12.2です(図12.2 濃尾地震における住家倒壊率と震央距離との関係).住家倒壊率(半壊の1/2と全壊との和を全戸数で割った値)は,震央近くで100%に近く,離れるにつれ地形による差が大きくなっています.震央近くでは非常に激しい震動のため地盤に関係なく倒壊率はほぼ100%になります.被害率は100%を超えることはないので,地形種類ごとに震央距離と倒壊率との関係を示す直線は倒壊率100%のある1点に集中していきます. 図12.2では震央距離がほぼ30kmのところにその点があります.震央距離(L)と住家倒壊率(Hr)との関係は図中の式で与えられ,Kが大きいほど倒壊率の距離による低下が大きいことを示します.Kの値は丘陵地0.079,台地0.059,扇状地0.057,氾濫平野・三角州(沖積層厚10m未満)0.031,同(沖積層厚10~20m)0.019,同(沖積層厚25m以上)0.014となり,地盤の硬軟の程度に全く対応しています.沖積層厚の厚さの影響も明瞭です.震央距離45km付近に倒壊率80~90%の町村が集まっていますが,これは埋没谷状に沖積層厚が大きくなっているところ(図12.1のP付近)にあたります. この45km地点における被害率を比べてみると,丘陵地で約3%,台地・扇状地では約8%で,震源から離れるにつれ地盤条件による住家倒壊率の違い,つまり地震動強さの違いがこのように大きく現われてきます.地震被害の地形・地盤差を調べるときには震源断層からの距離の要因を加えなければなりません.
1923年関東地震の被害と地盤条件
1923年関東地震においてもこれと同じ関係が認められます(図12.3 関東地震における住家倒壊率と断層からの距離との関係).対象地域は神奈川県の相模低地・相模台地・多摩丘陵,東京都の多摩丘陵,および被害の大きかった埼玉県のほぼ全域です.沖積低地(氾濫平野・三角州・海岸低地)に位置する町村のデータと台地・丘陵のそれとは,図の中央の線で分離され,地形(地盤)の違いによる被害率低下の程度の差が明瞭です.多摩丘陵内には地盤の良くない谷底があるので,台地との被害率の差は現われていません.この地震では埼玉県の古利根川低地において被害が大きく,震源から100km近く離れていても住家全壊率が20%にもなる町村が出現しました(図12.4 関東地震の住家全壊率分布).厚い沖積層の存在の他に,関東平野の基盤面がこの地域に谷状に湾入していることが関係しているものと推定されます.
関東地震では,断層面上に位置していた横浜において著しい建物倒壊被害が発生しました.市街中央部の大岡川低地などでは住家全壊率が80%を超えました.全壊率が大きいところは地下に埋没谷があって沖積層が厚いところにあたっています.ここは近世に干拓された土地で,地層の軟らかさの程度を示すN値が0に近い非常に軟弱な泥質層からなります.特に大岡川の出口には砂州が形成されたので,背後には潟が出現し表層には泥炭層が発達しました.大岡川低地では倒壊家屋が多かったので出火数も多く,低地内と周辺域が全面焼失しました.地形別の住家全壊率は,台地・丘陵地で5%程度であったのに対し,谷底低地ではおよそ40%,沖積層の厚い干拓地・埋立地では80%を超えました(図12.5 横浜の地形・地盤と関東地震の被害).
東京市は関東地震の震源からはかなり離れていたので,山の手台地面では全壊率がほぼ1%以下で,震度は5強~6弱でした.これに対し下町低地などでは全壊率が局地的に30%を超え(震度7),地盤の違いによる被害の差が明瞭に現われました(図12.6 関東地震による東京の被害と地盤条件).全壊住家は東京市全体で約1.4万戸でした.全壊率が大きかったのは荒川低地中の沖積層の厚い地域および山の手台地を刻む谷の出口や谷底の旧池沼域でした.かつての海面低下時には,関東平野を流れて東京湾に流入していた古東京川(利根川)は,下町低地において現在の荒川の流路付近を流れ,当時の陸地面を60~70mの深さに削り込んでいました.したがって,隅田川の東(本所・深川両区)では西に比べ沖積層がより厚く,その結果が被害率の大きいことに現われています.隅田川の西方では,丸の内谷とよばれる埋没谷があり,その南部は中世まで日比谷入江という海が入り込んでいました.丸の内谷は現在の神田川に連続しています.住家全壊率はこの旧入江や谷底低地で非常に高くなっています.東京における土質柱状図の例を図12.6中に示しました. C~Eは表層にN 値0~2の有機質土層がある例で,山の手台地内の谷底には最近まで随所に沼沢があったことを示します.荒川低地(A, B)では厚い沖積層があります.軟弱な沖積層が厚いと,地盤の卓越周期が長く,またその周期範囲は広くなるために,固有周期の異なる多種類の建物が破壊されます.泥炭地のように表層が非常に軟弱であると,地震動の増幅が大きくなり,局地的な高被害地をつくりだします.
1940年代以降の地震災害
1944年の東南海地震 (M8.1) は,熊野灘を震源とする海溝型地震で,高い津波も発生し,死者998人,住家全壊約26,130戸などの被害が生じました.静岡県西部の遠江地方では局地的に大きな被害が発生しました.震央から90~150km離れていたので距離の効果が薄められ,地盤条件の差が顕著に現われました.地形・地盤別の住家被害率は,粘土質地盤域で26%(菊川低地では39%),砂質地盤域(砂丘地帯)で3.5%,砂礫質地盤域で1.4%,洪積台地で0.3%でした.
1945年の三河地震(M6.8)は,規模はさほど大きくはなかったものの,震源の極めて浅い典型的な直下地震であったので,ごく狭い範囲に死者1,961人,住家全壊5,539戸などの大きな被害をもたらしました.この地震では延長9kmの地震断層が出現し,地表面を高さ2m湾曲させました.字別の住家倒壊率がとくに大きいところは断層付近およびその延長上にあり,また同時に,矢作川沖積低地下流部の全域にわたって被害率が大きいという分布が認められました(図12.7 三河地震の住家被害率分布).
1948年の福井地震 (M7.1) は,死者3,895人,住家全壊35,420戸などの被害を引き起こし,その激甚さから震度階7(激震)が新たに加えられました.被害の大部分は,幅12km,長さ40kmの細長い盆地状の福井平野内に集中しました(図12.8 福井地震の住家全壊率分布).平野東部を南北に走る潜在断層が確認されていますが,被害はこの断層に関係なく沖積平野内全域に及びました.全壊率は平野縁辺部を除く平野のほぼ全域にわたって90%以上という大きな値を示しました.しかし側面の山地に入るとほぼ0%にまで低下し,山地と沖積低地との差が際立って現われました.地震波の屈折・反射を起こす盆地状の地下地層構造もこれに関わったものと推定されます.
共振現象が際立って表れた例に、1985年メキシコ地震(M8.1)によるメキシコ市の被害があります(図12.9 メキシコ地震によるメキシコ市の被害と地盤条件).メキシコ市域の大半は200年ほど前までは湖底であったところを干拓した土地で,盆地状の基盤の上に数10mの厚さのきわめて軟弱な湖成層が堆積しています.この軟弱層に入力された地震動エネルギーは散逸せずに蓄えられ,卓越周期2秒ほどの地動となり,10階建て前後の高さの鉄筋コンクリートビルと共振しました.このため,震央距離は400kmと震源から大きく離れていたにもかかわらず,この階層のビルが集中的に倒壊しました.階層の異なるアパート群が林立していた大団地では,5階の建物は無被害,8階は軽微な損傷,14階は崩壊,21階は大破といった選択的被害を被りました.メキシコ市を中心に死者数は9,500人でした.
地下基盤構造により局地的な強震動域が出現した例に1995年兵庫県南部地震があります(図12.10 兵庫県南部地震の高被害域と地下構造).基盤と沖積層の境界では,地震波の屈折や基盤面での反射により地表のある地点に地震波が収斂して,震動が大きくなることがあります.
住家の全壊率は死者率や出火率と比例的な関係にあります.また,住家損壊の規模は社会経済的な影響の規模にもかかわってきます.住宅の耐震性を高めて倒壊しないようにすることは地震対策の中心です.
- 主要参考文献
- 愛知県(1960):愛知県災害誌.
- 飯田汲事(1979):明治24年(1891年)10月28日濃尾地震の震害と震度分布.愛知県防災会議地震部会.
- 阪神・淡路大震災調査報告編集委員会(1998):阪神・淡路大震災調査報告,共通編-2.
- 松田磐余・和田 諭・宮野道男(1978):関東大地震による旧横浜市内の木造家屋全壊率と地盤との関係.地学雑誌87.
- 日本学術会議(1949):昭和23年福井地震調査研究速報.
- 表俊一郎(1946):東南海地震および三河地震による地盤危険率の比較.地震研究所彙報24.
- 応用地質株式会社(1986):1985年9月19日メキシコ地震被害調査速報.
- 震災予防調査会(1925):関東大地震調査報文.震災予防調査会報告第百号.
- 総理府地震調査研究推進本部地震調査委員会編(1997):日本の地震活動.
- 田治米辰雄・望月利男・松田磐余(1983):地盤と震害-地域防災研究からのアプローチ.槙書店.
客員研究員 水谷武司