防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
5. 扇状地河川は大洪水時に流路を大きく変えやすい荒れ川である -1858年・1891年常願寺川洪水,1969年黒部川破堤など
扇状地河川の洪水
1858年(安政5年),立山山地を水源に持ち黒部よりも急傾斜の扇状地を富山平野に広げている常願寺川が大氾濫し,死者140人などの大きな被害を引き起こしました.この洪水は,4月9日の飛越地震(M6.9)によって立山カルデラ内で生じた崩壊(土砂量約1億立方m)による堰き止め湖が決壊したことによるものでした.大量の土砂流出は流路の変動をいっそう激しくして,その後洪水を頻繁に発生させました.扇状地河川は岩礫がごろごろする広い河原をつくり,水流は網目状になって流れます.河床勾配が大きいので洪水流の土砂運搬力は大きく,多量の土砂移動により流路変化が激しいので,治水が困難な荒廃河川と呼ばれます.
河流が山の谷間から開けた平坦地に流れ出るところに,砂礫が扇形状に堆積して形成された地形が扇状地です.扇状地は土石流の堆積によってもつくられますが,これは小規模で急傾斜(勾配数十分の1以上)です.これに対し平野とよばれる規模の,広く緩やかな(一般に勾配数百分の1)扇状地は,河流の堆積作用によるものです.堆積面の勾配と流量とは比例的な関係にあるので,砂礫搬出量の多い大河川は,緩傾斜で大規模な扇状地平野をつくります.
扇状地の等高線はほぼ同心円状ですが,このことは扇状地河川が多くの分派川に分かれて扇面上を乱流し,本流河道も頻繁に位置を変え,洪水が扇面上に満遍なく氾濫して砂礫を堆積させたことを意味しています.現在では河川工事により河道はほぼ一つにまとめられていますが,以前の分派川の位置はほぼ扇頂部から放射状に伸びる浅い溝状凹地により知ることができます.その主要なものは現在も用水路として使われています.分派川は洪水の水みちともいえるもので,分派の地点において本川河道からの氾濫が生じやすく,洪水流の主流は溝状凹地内を一気に流下します.氾濫が扇頂で生ずると,そこから放射状に伸びる凹地をたどって洪水が流れ,本川から遠く離れたところにまで達することがあります.この結果本川河道が突然大きく移動したりします.
黒部扇状地と1969年洪水
大起伏の北アルプス山地からの河川が流れ出てくる富山平野には,扇状地が連続して発達しています(図5.1 富山平野の扇状地).富山湾には深海が入り込み海底の勾配が急なので,河川が運び出した土砂は深い海底に沈んだり沿岸流に流されたりして,三角州を発達させることがあまりありません.このため平野の大半は扇状地で占められています.とくに黒部川は海岸まで扇状地で,海岸線は円弧状になっています.扇状地は砂礫で構成され漏水が大きいので水田利用には適していないのですが,他に土地がないため富山平野の扇状地は古くから開発利用され,これに伴う扇状地河川の治水が他地域にも増して重要な問題になっていました.
1969年8月10~11日,前線の活動による総雨量1,000mmの大雨が北アルプス山地に降り,山脈中央を縦に流れる黒部川の流量は,既往最大を大きく超えました.多量の土砂を搬出する黒部川は,山地前面に急傾斜の扇状地平野をつくって,水深の大きい富山湾に注いでいます(写真5.1 黒部川扇状地).扇状地の多くにおいて見られるように,黒部川でも逆ハの字型で上流に向け開く霞堤が,扇央部から扇端部にかけてつくられています.霞堤は洪水を穏やかに氾濫させる役割のものですが,しかし破堤は生じて,氾濫流は前面に伸びる旧流路内を一気に海まで流れ下りました.
破堤は河口から6km地点の福島地先にて生じました(図5.2 黒部扇状地の地形と1969年洪水).ここは2列の堤防が並走する霞堤部で,この両方とも破堤しました.破堤箇所は本川河道がゆるやかに曲流する外カーブ側であり,また,掘り込み河道から天井川に移行する地点であり,さらに,河床勾配が緩くなり始める遷緩部にあたっています.曲流部では遠心力の作用により外カーブ側の水位が高くなります.この洪水では左右両岸の水位差は最大で3mでした.天井川への移行地点では,河床高が扇状地面と同じ高さになって,それまで河道内に閉じ込められていた洪水が溢れ出しやすくなります.河床勾配は,破堤地点の上流ではほぼ1/80であり,これよりも下流ではしだいに緩やかになって,河口部で約1/200です.河床勾配が緩やかになるところでは流速低下により水位が高くなります.氾濫流は堤防を斜めに切り取って扇状地面の傾斜方向に流れ,前面に伸びる旧流路内からほとんど溢れることなく流下して海に達しました.浸水家屋は430戸でした.本川河道が現在の位置に移ったのは1685年の洪水のときと言われており,それ以前は,扇状地の東縁を北に向かい,現在の古黒部川付近を流れていました.扇頂部での氾濫により流路が大きく移動したものと考えられます.
常願寺川の1858,1891年洪水
常願寺川扇状地における1858年の堰き止め湖決壊による洪水は,地震の14日後(4月23日)と59日後(6月7日)の2回起こりました.堰き止めは扇頂から20km上流で生じ,その堰き止め高さは150mほどでした.1回目の洪水は泥土を多く含む流れで,扇状地河道を埋め河床を上昇させました.2回目は,雪解け水が湖水位を上げていたので洪水の規模が大きく,扇頂から始まって左岸側(西側)扇面に広く氾濫しました.扇頂~扇央部において右岸側扇面はやや段丘化(比高数m程度)しており,左岸扇面では最大傾斜の方向が河道から離れた北西方向に向かっています.この地形条件を反映して,洪水は扇頂から左岸扇面に広く氾濫しました(図5.3 常願寺川の1858年災害).
上流山地から扇状地への土砂流出が引き続き行われているステージでは,河床は扇面と同じ高さかそれ以上になっています.土砂流出が途絶えると河流の侵食により,河床高は扇面よりも低くなり,それは扇頂から下流へと進行していきます.扇端部では天井川が普通です.この結果河道の縦断面と扇面の縦断面は交差します.黒部川では,おそらく上流に多くのダムがつくられたことによる流出土砂の減少により,扇頂部で河床低下が起こり,交差位置は扇央下部にあります.常願寺川では,1858年およびそれ以前の生産土砂が大量に(2億立方mほど)山地内にとどまっており,それが継続的に流出しているので,河床高は全面にわたって高く,氾濫は扇頂部から生じます.
1858年以前においても,扇状地地形に規定されて,河道がゆるやかに右にカーブする扇頂下部(用水の取水口が多く設けられていた馬瀬口付近)において,たびたび左岸扇面への氾濫が生じていました.馬瀬口での氾濫は富山城を脅かすので,富山藩はここに堅固な石堤を築いていました.1858年後における大洪水は1891年(明治24年)に生じ,本川堤防は扇頂部で5箇所破堤し,1858年とほぼ同じ範囲に氾濫しました(図5.4 常願寺川の1891年洪水).扇面を放射状に派生する用水路(多くは旧流路)が洪水の主流になりました.オランダから招聘された技師デレーケは,この災害調査を行い「これは川ではない,滝だ」と言ったと伝えられています.ただし,常願寺川が扇状地部において特に急流であるわけではなく,上流域の面積に応じた勾配(約1/70)を示しています.常願寺という名称は,洪水が起こらないことを常に願うという意味をこめて名づけられたようです.山崩れの土砂流出がなくても扇状地河川は治水の難しい荒れ川なのです.
東海地方などの扇状地河川
上流山地で大崩壊が起こり平野部への多量土砂流出が生じて荒れ川に転化した川に,静岡市を流れる安倍川があります.最上流部にある大谷崩れの大崩壊は,1630年ごろから100年以上引き続いて1.2億立方mの土砂を流出せました.この土砂は安倍川河床を厚く埋め,静岡市街北部ではその河床高は,市街中央に突き出した狭い尾根をはさんで東にある巴川上流低地より50mも高くなっています.この荒れ川を治める工事が徳川家康以来営々と続けられてきました.海に出た砂礫は沿岸流により東に運ばれて三保の砂礫州を成長させています.また,巴川低地を閉ざして浸水危険地をつくっています(図5.5 静岡・安倍川下流域の地形).
東海地方には,中部山岳から流れ出す天竜川・大井川・富士川などの急流河川がつくる扇状地平野が形成されています.とくに大井川がきれいな扇状地をつくって海に臨んでいます.ここはよく知られた東海道の要衝で,流路変化の激しい荒れ川ゆえに,徳川幕府は江戸防衛の最前線をここに置きました.この川では平安朝以来非常に多数の水害記録が残されています.天竜川は上流の伊那盆地で土砂を堆積させているので,下流部には扇状の地形はつくられていませんが,東海道の車窓から見えるように,河原は広く礫が散在し網状流で,河口近くでも扇状地河川であることがよく分かります.富士川も甲府盆地に多数の典型的扇状地を形成しているので,駿河湾という非常に深い海に面して狭い扇状地をつくっているだけです.車窓から見える河床礫は大きく,急流であることを示しています.北陸地方に向かう大河川である信濃川では,支流の高瀬川・梓川が松本盆地の扇状地群をつくっています.
扇状地平野は水利面から開発が遅れたので,河川が氾濫しても農村地帯の被害にほぼ止まります.しかし,中小規模の扇状地や扇状地状の谷底に都市が立地するところがいくつかあります.それらには,北見,帯広,旭川,札幌,弘前,盛岡,山形,米沢,福島,前橋,甲府,松本,岡谷,高山,金沢,奈良,神戸,松山などが挙げられます.市街主部は洪水の危険の小さい段丘化扇面に位置するのが大部分ですが,市街化の進展により低地にまで進出したところでは,激しい流れの洪水を被る危険があります.洪水の及ぼす力は,地表面の勾配が大きいほど,また,谷や低地面の幅が狭いほど,強くなり,浸水だけでは済まずに流失や全壊が生ずることがあります.
- 主要参考文献
- 貝塚爽平(1977):日本の地形.岩波書店.
- 小出 博(1970):日本の河川.東京大学出版会.
- 水谷武司(1985):水害対策100のポイント.鹿島出版会.
- 水谷武司(1987):防災地形第二版.古今書院.
- 田畑茂清ほか(2002):天然ダムと災害.古今書院.
- 矢野勝正編(1971):水災害の科学.技報堂.
客員研究員 水谷武司