防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
20. 富士山型の成層火山は幾度も巨大崩壊を起こし山麓の流れ山として記録されている -1888年磐梯山噴火,1980年セントヘレンズ噴火など
火山体の大崩壊
多様な性質をもつ噴出物が積み重なって構成されている火山は本来的に不安定です.特に,溶岩や種々の火砕物(火山礫・軽石など)が山腹傾斜の方向に幾重にも層をなして重なる急峻な富士山型の成層火山は,非常に不安定な内部構造を持っています.火山体の岩石が高温の温泉水により変質して脆くなっている場合もあります.この不安定な山体は噴火や地震を引き金として大崩壊を起こします.1888年に磐梯山の北面が水蒸気爆発により大崩壊し,山体の上部が消失してしまいました(図20.1 火山体の大崩壊).大量の崩壊物質は高速の岩屑なだれとなって北山麓に流れ下り,河流を堰き止めて多くの湖沼をつくりました.これにより多くの集落が埋没しあるいは湖底に沈みました.岩屑なだれと爆風による死者はおよそ500人でした.このかつての大災害の現場は現在では日本有数の観光地となっています.岩屑なだれの地形が景勝の地となったところとしては他に,北海道駒ケ岳の南麓の大沼,鳥海山北西麓の象潟などがあります.
1980年にアメリカのセントヘレンズ火山が巨大崩壊と大噴火を起こして,山体が磐梯山と同じような形に一変しました(図20.2 セントヘレンズ火山の1980年噴火後の地形).1956年にはカムチャッカ半島のベズイビアニ火山が巨大崩壊を起こしました.これらの2例では溶岩ドームの上昇による山体の変形が大崩壊を引き起こし,続いて噴火が生じています.このような火山体の巨大崩壊は特殊なことではなく,数十万年にもおよぶ火山の一生の中では何度も起こる正常な現象です.巨大崩壊は大規模な馬蹄形カルデラを山頂部に,流れ山とよばれる小丘群を表面にもつ岩屑なだれの地層を山麓に堆積させるので,かつてそれが起こったことが分かります.カルデラはその後の噴出物により埋められて現在は残っていないことも多いのですが,山麓の流れ山や堆積層は長期間残存します.日本の火山の山麓には30前後の岩屑なだれ堆積物が認められます.そのうちの4例は最近400年の間に起こっています(北海道駒ケ岳1640年,渡島大島1741年,雲仙眉山1792年,磐梯山1888年).北海道駒ケ岳では3回,八ヶ岳・鳥海山・岩手山では2回起こったことが,地形や堆積層から知られています.磐梯山では,約5,000年前に南面において1888年を上回る規模の崩壊が起こり,岩屑なだれは現在の猪苗代湖をつくりました.
1888年磐梯山噴火
1888年の磐梯山の噴火活動による噴出物にはマグマ起源の高温本質物質は含まれず,すべてかつての山体を構成する岩石からなっています.したがってマグマの貫入はなく,火山体の内部に蓄えられていた高温の熱水が急速気化したことによる水蒸気爆発と推定されます.崩壊した小磐梯山の北斜面には上の湯,中の湯,下の湯の3箇所に温泉が湧出しており,湯治場となっていました.この熱水による岩石の変質が火山体を脆弱にしていたので,水蒸気爆発を引き金として急傾斜山体が巨大崩壊を起こしたと考えられます.マグマの直接の関与はないので噴火は中規模のものでした.それでも火山灰の降灰は100km離れた太平洋岸にまで達しました.なお,これ以前における噴火は806年(大同年間)で,以後1,100年近く活動を停止していました.
この爆裂的噴火は7月15日7時45分のことでした.1週間ほど前から地震が頻発し,温泉の湧出量が少なくなり,水蒸気噴出が激しくなっていました.このため磐梯温泉湯にいた湯治客が多数下山しました.15日の7時半ごろから地震が激しくなり,ついで20回ほど爆発的噴火が生じて大崩壊に至りました.小磐梯山の上部は消失し,北に開口する幅1.5kmの馬蹄形カルデラが出現しました(図20.3 磐梯山の山体崩壊と岩屑なだれ).これにより小磐梯の山頂は640m低下しました.1.2立方kmの崩壊物質は岩屑なだれとなって時速80kmで北麓に流下し,山頂から15kmのところにまで達しました.大量の岩屑は谷を堰き止め,桧原湖,小野川湖,秋元湖,曽原湖および五色沼の池沼群をつくりました.岩屑流の一部は本流の長瀬川に流入し土石流状になって南に向かい4kmほど流れ下りました.また,水蒸気爆発に伴う土石まじりの爆風が,櫛ヶ峰との鞍部を抜けて南東部の谷間を襲いました.
この岩屑なだれ,土石流,爆風などによる被害は,死者行方不明約500人(大部分が行方不明),損壊家屋およそ100戸などでした.上の湯および下の湯は埋没し26人が行方不明,北東麓の川上温泉では温泉宿3軒が埋没し45人が行方不明になりました.土石流の末端近くにあった長坂集落では,多数住民が長瀬川の対岸に避難中に土石流に襲われ,79人(住民の半数)が行方不明になりました.このため損壊家屋数に比べ死者数が多くなっています.岩屑なだれに直撃された檜原村の3集落39戸はすべて埋没し210人(住民の90%)が犠牲になりました.なお,湖の湛水により檜原村(総数102戸)は全村が移転しました.土石まじりの爆風に襲われた南東面2集落では破壊された家屋が66戸と多数を占めました.
岩屑なだれのつくる地形
岩屑なだれの堆積層表面には流れ山とよばれる非常に多数の小丘がつくられます.これは大小さまざまな大きさに破壊された山体の破片を中身としています.形成当初は頂部が尖っていますが,やがて丸みをもった形になります.その大きさは裏磐梯では高さが10~40m程度,底面の長径が50~200m程度です.平面形は一般に長円状で,その長軸は岩屑なだれの流動方向に平行になるものが多数です.流れ山の集団が山麓に分布する日本の火山には,有珠山,然別岳,北海道駒ケ岳,岩手山,鳥海山,浅間山,八ヶ岳などおよび磐梯山があります.八ヶ岳南麓の韮崎岩屑流は,推定崩壊源(権現岳)から20kmのところで比高80m,底面長径500mの大きな流れ山をつくっています.この岩屑流は日本で最大の規模で到達距離約50km,厚さ120mもあります(図20.4 八ヶ岳・韮崎岩屑なだれ).大きな馬蹄形カルデラは浅間山,鳥海山,北海道駒ケ岳などにおいて明瞭に残っています(図20.5 浅間山・鳥海山の馬蹄形カルデラと岩屑なだれ). 鳥海山のカルデラは最大幅3km,長さ5kmです.この形成は約2,600年前と推定され,その後の噴火による溶岩円頂丘および溶岩流により半ば埋められています.岩屑流は海に流入して流れ山のつくる多数の小島が内海に浮かぶ景勝の地,象潟をつくったのですが,1804年の象潟地震により隆起して陸地になってしまい景観が失われました.約5,000年前につくられた磐梯山南面の馬蹄形カルデラは大磐梯山の円錐山体によってほぼ埋められており,崖線がわずかに認められるだけになっています.深いカルデラの底部にはマグマが噴出しやすいので,その埋積はかなり速いようです.
1980年セントヘレンズ噴火
1980年のセントヘレンズ火山の噴火は,3月27日の水蒸気爆発と火山性地震の発生から始まりました.ただちに観測が開始され,山体北面の直径1.5kmほどの範囲が1日あたり最大2.5mの速さで北にせりだしていることが捉えられました.これは上昇してきた溶岩ドームが山体を押しあげていたことを示します.累計変位量が水平に120m,垂直に90mに達した5月18日の08時32分,M5の地震が引き金となって体積2.7立方kmの大崩壊が起こりました.崩壊物質は初期の速度が秒速150mという高速の岩屑なだれとなって流下し,28kmの地点にまで到達しました.崩壊により圧力が除去されたため山体中の高温熱水は急速気化して爆発し,ブラスト(爆風)を発生させました.この速度は時速320km以上もあり,樹木を根元からねじ切り,600平方kmの山林を破壊しました.ブラストが10分程度続いた後,噴煙柱を高く噴き上げるプリニー式噴火が起こりました(写真20.1 1980年のセントヘレンズ火山の噴煙柱).これは貫入してきたマグマの頭部が崩壊により断ち切られたことによって生じたものです.噴煙の高さは30kmに達し,降灰の堆積は10km東方で50cmになりました.火砕流もまた発生して岩屑なだれの上を覆いました.馬蹄形カルデラの幅は2km,深さは600mで,標高2,950mの元の山頂部は1,000m低くなりました.このカルデラ縦断面は磐梯山のそれと全く同じ形で,スケールが2倍ほど大きいだけです.カルデラ底には溶岩ドームが成長してきて,直径1,000m,最大比高260mの円頂丘が形成されました.事前に避難勧告や立ち入り規制が行われれていたので,この噴火による死者は,観測中の研究者も含め57人でした(図20.6 セントヘレンズ火山の1980年噴火災害).
1956年にカムチャッカ半島のベズイビアニ火山の東斜面が大崩壊し,直径1.3km,深さ700mの馬蹄形カルデラが出現しました.これにより生じた時速360~500km,温度100~200℃の爆風が60平方kmの範囲に礫まじりの火山灰を堆積させました.この後プリニー式噴火と火砕流が続きました.カルデラ底には溶岩円頂丘が出現し,直径650m,高さ320mにまで成長しました.噴煙柱の高さは40kmに達しました.この噴火経過はセントヘレンズと全く同じです.これらの噴火例から火山体の巨大崩壊と岩屑なだれが,火山形成過程で普遍的に生ずる現象であることが広く認められるようになりました.
成層火山は巨大崩壊を繰り返す
山体崩壊を起こしやすいのは大型の成層火山です.富士山は最も大型であるので,崩壊の規模は大きく,また到達距離も長くなる可能性があります.約2,400年前の御殿場岩屑なだれは東麓一帯を覆い,一部は酒匂川沿いに相模湾まで,また黄瀬川沿いに駿河湾まで達しました.その源は現在の火口を取り巻く半径3kmほどの馬蹄形カルデラであったと推定されています(図20.7 富士山の山体崩壊と岩屑なだれ).現在の富士山の形状は北西~南東方向に長軸をもつ楕円形で,東北面と南西面が急傾斜になっています.大沢および吉田大沢とよばれる2大放射谷はこの方向に発達しています.したがって崩壊は北西面か南西面で起きやすいと考えられます.大規模岩屑なだれの到達距離は比高の10倍にも達します.富士山では,比高を3.5kmとすると到達距離は35kmになり,これは富士川河口を越えて駿河湾に達する距離です.大量の岩屑が海に流入すると,1792年の雲仙・眉山の岩屑なだれのように大きな津波を引き起こします(図20.8 雲仙・眉山の崩壊). 岩屑なだれとそれによる津波は,火砕流,火山泥流についで多くの人的被害を引き起こす原因になっています.1883年のインドネシア・クラカタウ火山の噴火では,直径8kmのカルデラが海底につくられ,最大波高35mの津波が発生し,3.5万人が犠牲になりました(図20.9 クラカタウ火山の1883年噴火).日本の成層火山の4割に岩屑なだれの堆積物が認められます.頻度は小さいものの岩屑なだれは大きな被害をもたらすことを考えておかねばなりません.
- 主要参考文献
- 阿部真典編(1981):実録磐梯山大噴火百年史.福島Now.
- 荒牧重雄ほか(1995):空からみる世界の火山.丸善.
- 町田 洋・白尾元理(1998):写真でみる火山の自然史.東京大学出版会.
- 守屋以智雄(1983):日本の火山地形.東京大学出版会.
- 文部省災害科学研究班(1981):セントヘレンズ火山の噴火活動とそれに伴う災害の調査研究.
- 宇井忠英編(1997):火山噴火と災害.東京大学出版会.
- Schminche,H. (2004): Volcanism. Springer.
客員研究員 水谷武司