防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
4. 河床と平野面の標高差が大きい侵食性あるいは堆積性の河川の氾濫特性 -1986年台風10号による阿武隈川・那珂川・小貝川・吉田川等の氾濫など
侵食性・堆積性河川の氾濫特性
1986年台風10号は,中心気圧980hpaの温帯低気圧に変わった後,8月5日未明に房総半島に上陸し,進行の速度を非常に遅くして三陸沖に抜けました.この低気圧進行の前面で前線の活動が活発となり,4日正午ごろから5日の朝にかけ,関東から東北中・南部の太平洋側の地域において,1時間に10~40mmの雨が連続して降り,総雨量は300~400mmに達しました.この大雨により那珂川・小貝川・阿武隈川・吉田川などの河川が各所で氾濫し,建物の床上・床下浸水9.7万棟などの被害が発生しました.これらの河川低地の地形(地盤高分布)にはそれぞれ特色があり,それを反映した洪水氾濫が生じました.
日本の平野は,河川が山地から運び出した土砂の堆積により形成された堆積平野です.山地は一般に大起伏であり河川は急流をなすので,多量の土砂が下流にまで運ばれてきます.このため河床(河原の高さ)は平野面とほぼ同じ高さを示すのが通常です.運搬土砂量が特に多いと,河床のほうが高いといういわゆる天井川になります(図4.1 新潟・加治川の天井川河道).しかし河川によっては河床が低いという場合があります.河流は陸地を侵食して海面の高さにまで低めようとする作用を絶えず加えています.したがって上流からの土砂供給が少なくて河床堆積がほとんど行われない河川では,河床は低下傾向になり,平野面を全面的にあるいは部分的に削り込んで流れます.これを侵食性河川と呼ぶことにします.上流に大きな盆地があって土砂の大部分がそこで堆積してしまう場合に,これがよく見られます.上流山地でのダム建造,蛇行をカットして直線河道にする捷水路工事,砂防工事,河原の砂利採取などの人為的要因が関係する場合もあります.水は低きにつくという原理により,洪水の流動方向や氾濫域は,河川が侵食性か堆積性かによってほぼ決められます.
茨城県下の河川の氾濫
那須火山に源を発する那珂川は,下流部において台地内に幅2~3kmのかなり狭い氾濫原をつくって,水戸の東方で太平洋に注いでいます.1986年台風10号のもたらした流域平均雨量250mmの大雨により,那珂川の水位は計画高水位を大きく超えて,下流部の低地に氾濫しました.水戸の中心市街は馬の背とよばれる幅狭い台地の上に展開し,那珂川はこのすぐ北側を平行して流れています.その河道部は低くて地形断面は浅いV字状を示し,台地際と河床との比高は5~6mあります.このため洪水位が高くなっても,一般の谷底低地のように全面にわたる氾濫は起こりません.このような侵食性河川では一般に,連続した堤防は建造されていません.水戸付近では無堤区間が左岸側で長いので,氾濫域は自然地形に従って広がり,ほぼ最大水位までの標高域が浸水しました.12年後の1998年8月,那須火山東南面において総雨量1,000mmの集中豪雨が降り,那珂川下流域でも氾濫が生じました.水戸(水府橋)における最高水位は,1986年が9.15m,1998年が8.43mで,その差は72cmでした.一方,両洪水時の最大浸水位の差は50~60cmで,河川水位に応じて浸水域が広がったことがわかります(図4.2 那珂川低地の地形と1986年氾濫域).
茨城県南西部には,つくば研究学園都市の載るつくば台地を挟んで東に桜川が,西には小貝川が流れています.台風10号の大雨により両川は氾濫しましたが,その氾濫の仕方は対照的でした.桜川は筑波山の西麓を流れ土浦にて霞ヶ浦に流入する中小河川です.この河床高は,上流部および下流端を除き,河川低地面をかなり深く削り込んでいます.学園都市付近では河床と台地際との比高は7~8mもあります(図4.3 桜川低地の地形).堤防の規模は小さく,ところどころに切れ目がつくられています.氾濫水は河道周囲に地形なりに広がり,下流部では浸水域はごく狭いものでした.この桜川低地には流量のより多い鬼怒川が流入していた時期があり,そのときつくられた堆積面を現在侵食しつつあるためと考えられます.
小貝川は栃木県中央部の丘陵を水源とする平野河川で,利根川の1支流です.台風10号の雨は小貝川の流域に集中したため,小貝川水位は計画高水位を超え,中流部の各所で氾濫しました.石下町では右岸堤防が破堤し,西方を平行して流れる鬼怒川との間の低地が約10平方km浸水しました.この中流域において鬼怒川と小貝川は幅せまい低地内の両端を平行して流れています.地盤高は低地中央が最も低く河道部が高いという地形を示します.鬼怒川河道部は低地中央よりも3~4mも高くなっています.石下の破堤氾濫水はこの凹状地形に従い低地中央部を流れ下りました.このような地形のところでは氾濫水が自然に河道へ戻るのは困難です.このため8km下流の水海道市街北方において堤防を開削し,鬼怒川に人工排水しました(図4.4 鬼怒川・小貝川低地の地形と1986年氾濫域).この破堤は農業用水の取水施設があったところで生じており,漏水から始まって破堤に至るまでの経過が連続写真に記録されています.小貝川は農業用水の取水が広く行われている河川ですが,このように天井川的であることが取水を容易にしています.
この5年前の1981年8月,利根川との合流点から5km上流の龍ヶ崎において小貝川は破堤し,33平方kmが水没しました.小貝川の下流部では,かつて鬼怒川が流れていた低地を横切り台地を横断して利根川に合流するように人為的な河道付け替えが行われています.破堤氾濫水は,自然の地形に従い現河道から全く離れ,その真横の方向に流下しました.破堤個所は1925年に蛇行部をショートカットして閉め切ったところにあたっています.ここには農業用水の取水用の水門が設置されており,切り離された旧河道は水路として利用されていました(写真4.1 龍ヶ崎における小貝川の1981年破堤).
1986年台風10号による東北の河川の氾濫
阿武隈川は,那須火山を最上流とし中央火山列と阿武隈山地との間に狭い氾濫原をつくって北流する,長さで第7位の大河川です.台風10号の大雨により阿武隈川中流部の水位は計画高水位を超え,本川堤防が2箇所,支川堤防が合流点近くにて5箇所破堤し,また,各所で越流が生じました.河道は河川低地面をやや削りこんで流れているので,それぞれの氾濫域はごく狭いものでした.本川破堤による浸水面積は0.35平方kmおよび0.9平方kmと小さく浸水家屋数はわずかでした.支川の氾濫水や内水も本川堤防に沿う幅狭い範囲に限られました.最も大きな浸水被害は福島県・郡山で生じました.ここでは支流の谷田川が破堤し,阿武隈川との間の低地に立地していた工業団地が最大2mの深さに浸水して,300億円を超える被害が生じました.大正期の地形図ではここを阿武隈川が大きく蛇行して流れていました.つまりつい最近まで氾濫原であったところで,大河原・川久保・大洲河原といったような地名にもそれが示されています.大正以降の河川改修により,谷田川は阿武隈川旧流路を使用して延長されたので,両川の間に河原と同じ高さの細長い低地が出現し,後に工業団地とされたのです.このような先が閉ざされた状態の袋状低地は,氾濫した場合浸水規模が大きくなりやすいところです.氾濫水排水のため谷田川堤防が開削されましたが,ここの地名は水門町でした.このような平坦な氾濫原は阿武隈川では少なく,このすぐ下流では河川低地の地形断面は河道が最も低いV字状を示します(図4.5 1986年台風10号による郡山における阿武隈川の氾濫).
仙台平野の中央部を流れる吉田川は台風10号の大雨により大規模に氾濫しました.吉田川本川堤防は4箇所で破堤し,35平方kmが浸水しました(図4.6 宮城県吉田川の1986年氾濫域).吉田川下流域には,本流の鳴瀬川の運搬土砂により閉ざされてできた大きな沼(品井沼)がかつてありました.現在では干拓され水田になっていますが,最低標高は0.3mで,鳴瀬川よりも2~3m,吉田川より1~2m低い凹地状の低湿地をつくっています.この自然排水が不可能な旧品井沼低地では湛水期間が11日に及び,遠くは近畿・東海地方からもポンプ車がかけつけて排水にあたりました.これは氾濫水が広く平野内に流入して低所に湛水するというタイプの洪水で,日本の平野の海岸部には数多くみられます.
河床低下が進んでいる河川の洪水
河床が低下している大きな河川としては,北海道の石狩川,九州の筑後川などがあります.石狩川はかつて石狩平野において著しい蛇行していました.明治以降これをショートカットして直線河道にする工事が続けられ,平野部における流路長が半分にまで短縮されました.同じ落差のところをより短い経路で下ることになるので河床勾配は急になり,従って河流の侵食力が増して河床が低下します.平野中・下流部における河床高は平野面より3~4m低い状態にあります.寒冷気候のため泥炭地が発達し,平野面に多少の起伏があります.このため氾濫が生じた場合の浸水域は河道周辺や平野内の凹地にほぼ限定されます.
筑後川では,中流部において河道が7~8mも低くなっています.平野面はほぼ平坦であり,氾濫水は河道に集まってくる傾向にあります.1953年の大洪水では本川堤防が26箇所で破堤したのですが,そのうちの9箇所は上流での氾濫水が裏側(平野側)から堤防を襲って破壊したことによるものでした(図4.7 筑紫平野中流域の地形と筑後川の1953年洪水).東京の多摩川は砂利採取が一原因となり河床が3~4m低くなっています.1974年の出水時には氾濫は生じなかったものの,農業用水の取水堰により妨げられた洪水流が側岸を侵食して19戸の家屋を流失させました.1982年台風10号の豪雨により富士川は既往最大を超える流量の出水が生じました.河口部において河床は砂利採取によりやや低下していたので氾濫は生じなかったものの,激しい流れが河床を洗掘して東海道線鉄橋の橋脚を倒壊させたので,東海道線が2ヵ月半不通になりました.河床低下により氾濫が生じなくても,洪水流の侵食作用などによって種々の災害が起こります.
- 主要参考文献
- 防災科学技術研究所(2001):北関東・南東北地方1998年8月26日~31日豪雨災害調査報告.主要災害調査第37号.
- 科学技術庁資源調査会(1970):水害の地域性に関する調査報告.資源調査会報告57.
- 科学技術庁資源局(1958):都市における水害とその事後対策-久留米・熊本両市に関する実態調査報告.資源局資料第15号.
- 建設省九州地方建設局(1954):昭和28年6月末の豪雨による北九州直轄5河川の水害報告書.
- 小出 博(1972):日本の河川研究.東京大学出版会.
- 国立防災科学技術センター(1987):1986年8月5日台風10号の豪雨による関東・東北地方の水害調査報告.主要災害調査第27号.
- 日本損害保険協会(1991):地域別「気象災害の特徴」.
- 矢野勝正編(1971):水災害の科学.技報堂.
客員研究員 水谷武司