防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
9. 太平洋南岸の湾奥にある大都市ゼロメートル地帯で高潮の危険が最も大きい -1934年室戸台風・1950年ジェーン台風・1961年第二室戸台風による大阪の高潮
高潮災害の人的被害
1961年の台風18号は「超大型」で「猛烈な」という勢力で室戸岬に上陸し,14時ごろ大阪の西方を通過して大阪港に3.0mの高潮を引き起こし,近畿地方に強風を吹き荒らして,能登半島に抜けました.なお,潮位は東京湾平均海面(T.P.)からの高さで示します.大阪港の基準面(最低潮位により決められO.P.と表現)に依る場合,これに1.12mを加えた値になります.この台風のコースと災害の状況は,死者3,000人などの大きな被害をもたらした1934年室戸台風によく似ていたので,第二室戸台風と名づけられました.第二室戸台風の勢力は,死者5,000人という最大の風水害被害を引き起こした1959年伊勢湾台風の勢力を上回り戦後(1946年以降)最大でしたが,死者総数は200人で伊勢湾台風のそれを大きく下回りました.高潮被災市町における死者数は伊勢湾台風ではおよそ4,000人であったのに対し第二室戸台風では30人で(強風の直接被害が大部分),高潮による人的被害がほとんど無かったことが際立ちました.
この大きな違いは大阪臨港部が室戸台風,1950年ジェーン台風などたびたび大きな高潮の襲来を受けていて土地の危険性がよく認識されていたうえに,2年前の伊勢湾台風による大高潮災害の教訓が働いて,多数市民が迅速・適切な避難行動を行ったことによるものでした.高潮の最大潮位は台風の中心気圧と最大風速から予測できます.その発生は台風の最接近時であり,浸水危険域は海岸低地であることは容易に実感できます.つまり,いつ,どこで,どんな規模でという災害予測を,数時間前という時間余裕をもってかなり確かに行うことができるので,警報・避難の対応行動により人的被害の発生を防ぐことが,他の災害に比べより容易に行うことが可能なのです.
高潮のしくみと危険海岸
台風は,中心部での低い気圧による海水の吸い上げ(周りからの押し上げ)と,強風による海岸への海水の吹き寄せ,という2つのしくみによって海面を高くします.これに天文潮が加わったものが実際の潮位です.気圧が1hpa下がると海面はほぼ1cm高くなります.陸上で観測された最低の気圧は室戸台風による912hpaです.1気圧は1013hpaですから,このときの気圧低下量は101hpaになります.したがって吸上げによる海面上昇量はほぼ1mまでです.海水の吹き寄せによる海面の上昇は,台風の最大風速の2乗にある定数を掛けた大きさです.吹き寄せによる海面上昇は,海水の逃げ場のない湾奥の遠浅海岸で大きくなります.日本の主要な湾について求められている定数の大きさは,湾の形や深さなどによって異なり,ほぼ0.15~0.2です.観測された最大風速は,島や岬を除くと,秒速45~50m程度です.したがって吹き寄せによる海面上昇は最大で4~5mほどです.日本で観測された高潮の最大潮位は,1959年伊勢湾台風による名古屋港での3.89m(天文潮を除くと3.45m)です.
台風は日本本土に向かって南方から来襲するので,大きな高潮が発生する可能性が高いのは,南に向かって開く水深の小さい奥深い湾です.高速度で進行する中心気圧の低い台風が満潮時に,このような湾の西側を湾に平行に進むと,その湾奥で大きな高潮が発生します.台風の進行右側(一般に東側)では,進行の速度が加わるのでより強い風が吹きます.したがって進行の右側を危険半円と呼んでいます.風が湾の中に真っ直ぐに吹き込むと,斜めに吹く場合に比べ海水の吹き寄せが大きくなります.1945~1999年の期間に2m以上の最大潮位偏差 (天文潮を引いた潮位)を示した高潮の発生回数は,大阪湾4,伊勢湾2,有明海1,土佐湾1,周防灘1でした.大阪湾,伊勢湾および東京湾の湾奥低地では,大都市が位置しているうえに海面下の土地が広いので,高潮災害の危険性が非常に大です.
1934年室戸台風の高潮
大阪湾では最も頻繁に大きな高潮が発生しています.そのなかでも特に大きかったのは,1934年室戸台風,1950年ジェーン台風および1961年第二室戸台風による高潮です(図9.1 大阪湾に高潮を起こした台風).室戸台風は9月20日朝沖縄の東方沖を通過し,21日05時に室戸岬の北に上陸しました.このとき室戸岬において観測された911.9hpaは日本で観測された最低の気圧です.最大風速が毎秒45m,最大瞬間風速が毎秒60m以上という猛烈な風も記録しました.しかし,このような非常に強い台風が来襲しているということは,大阪の測候所や東京の中央気象台はよく把握していませんでした. 1m程度の高潮の恐れありとして暴風警報が20日午後に出されたものの,強く警告するというニュアンスのものではありませんでした.21日朝の中央気象台による全国天気概況文では「台風はかなり猛烈で今朝6時には徳島付近にあり,やがて大阪は相当の暴風雨となるでしょう」となっていましたが,これが発表されているころにはすでに大阪では被害が続出していました. 室戸岬通過後,台風の進行速度は時速80kmと非常に速くなったので,大阪地方での風の強まりは急速でした.07時には風速は秒速10m前後で,普段と変らぬ出勤や登校が行われたのですが,08時には秒速40mを超える暴風に発展して多くの人が死傷しました.とくに,児童・生徒の犠牲者が多かったことが問題になりました.大阪市内の学校の16%が倒壊し,教員・生徒の死者はおよそ800人でした.
大阪湾の潮位上昇は急速でした.大阪港の築港路上での記録によると,7:49には水深ほぼゼロであったものの,8:00に83cm,8:14には222cmの最大水深に達し,毎分10cmという急速上昇を示しました.大阪港における最大潮位はT.P.3.1mであり,大阪市の20%,堺市の30%,尼崎市の40%が浸水しました(図9.2 室戸台風高潮の観測記録). 浸水深の最大は3m近くで,大阪市の浸水面積は49平方kmでした.浸水域の大部分は中世以降における干拓地でした.この台風による死者の総数は3,066,大阪市では957,堺市では417でした.このうち高潮による死者はおよそ1,900と推定されています. 高潮被害は地盤沈下域で甚だしかったことから,災害後に地盤沈下機構の研究が行われ,それが工業用地下水の多量汲み上げによる帯水層の圧密沈下であることが明らかにされました.しかし軍需生産優先のなかで揚水制限は行われませんでした(図9.3 大阪における地盤沈下と海面下の地域).
1950年ジェーン台風の高潮
1950年ジェーン台風は9月3日08時ごろ室戸岬付近を通過し,12時すぎに神戸西部に上陸して,若狭湾に抜けました.大阪における最大風速は秒速28.1m,最大瞬間風速は秒速44.7mであり,大阪湾において2.7mの高潮が発生しました.最大潮位はほぼ干潮時でしたが,もし満潮であればさらに0.4mほど高くなったはずです.室戸台風に比べ潮位はかなり低かったものの,大阪市の30%が浸水し浸水面積は56平方kmと室戸台風のそれを上回りました(図9.4 室戸台風およびジェーン台風による高潮浸水域).これは戦時中における地盤沈下の進行により低い土地が拡大していたためです.室戸台風時以降における沈下量は沿岸部で1.5mに達していました.地盤沈下は工業地帯が広がる淀川北岸域で激しく,尼崎市では海岸から4kmまで高潮が進入し,室戸台風の4倍の被害が生じました.西宮市も沿岸部が全面浸水しました.死者数は総数508人,高潮被害の大きかった大阪と兵庫では307人であり,室戸台風に比べ1桁小さいものでした. これには,台風予報の精度向上,当日は休日で沿岸工場地帯に人が少なかったこと,昼という時間帯であったこと,などがかかわっています.戦後,米空軍による観測データが気象庁にも提供されるようになり,台風の観測と予報の精度は格段に向上し,室戸台風のような不意打ちはほとんどなくなりました(図9.5 ジェーン台風高潮による大阪の被害).
1961年第二室戸台風の高潮
1961年第二室戸台風は戦後最大の勢力の台風で,室戸岬における最大瞬間風速84.5m/秒は日本における最大記録です.大阪港では最大潮位3.0mの高潮が14時ごろに発生し,大阪市の31平方kmが浸水しました.市内の小河川を高潮が遡上して内陸で氾濫したものが大部分で,浸水域は室戸台風の場合よりも内陸域に拡大しました(図9.6 第二室戸台風による高潮浸水域).ジェーン台風後,総延長124kmにおよぶ防潮堤がつくられていたのですが,昭和30年代になってさらに加速した地盤沈下によって計画高以下になっていたところが多く,河川堤防の各所で越流が生じました.地盤沈下量はジェーン台風以降で1mに達したところも見られました.防潮堤は重量が大きいので沈下が激しく起こります.
第二室戸台風は巨大な勢力をもっていたものの,死者数は総計202人で,この大部分は強風によるものでした.大阪市の高潮により浸水した区における死者は4人ときわめて少ないものでした.テレビというこれまでになかった効果的な情報伝達手段を通じて,巨大台風の情報の伝達と警戒・避難の呼びかけが前日から継続的に行われたこと,および同じような土地環境にある名古屋における2年前の大高潮災害のいまだ生々しい記憶が多数市民の避難を促進させたことが,人的被害減少に寄与したと考えられます.その基礎には室戸台風・ジェーン台風などの直接の災害経験による土地の危険性の認識があります.災害経験は避難を促進する最大の要因ですが,この効果は風化しやすく,また,軽微な災害の経験は危険の判断をかえって甘くするという面もあります.なお,避難所は1,056箇所に設けられ,収容人員は44万人でした.
高潮対策
高潮対策の中心は防潮堤の建造です.しかし大都市では小河川や水路を遡上する高潮の防御が難問になります.堤防を高くすると非常に多数ある橋・道路のかさ上げが必要になるからです.大阪では河口近くに防潮水門をつくり高潮はそこで停めるという方式をとっています.上流からの水はポンプ排水します.大きな水門は船の航行のためにアーチ型にしています.海岸部の防潮堤の高さは最大でO.P.+8.1mであり,水門の内側の堤防高はこれよりも2.3m低くしています.なお防潮堤の大半はコンクリートや鋼矢板の壁で,壁面1枚で高潮を防いでいます.
海面下の沿岸低地の市街地は高潮に対して最も脆弱な場所です.現在,標高0m以下の土地は,大阪湾岸に65平方km,東京湾最奥部に90平方km,濃尾平野に290平方km存在します.とくに東京は1949年のキティ台風以降大きな高潮災害を経験していないこともあり,災害ポテンシャルが大きいと判断されます(図9.7 キティ台風による高潮浸水域と海面下の地域).
- 主要参考文献
- 中央気象台(1935):室戸台風調査報告.中央気象台彙報第9冊.
- 中央気象台(1951):ジェーン台風報告.中央気象台彙報第36冊.
- 気象庁(1967):第二室戸台風調査報告.気象庁技術報告第54号.
- 大阪府(1936):大阪府風水害誌.
- 大阪府・大阪市(1960):西大阪高潮対策事業誌.
- 大阪管区気象台(1962):第二室戸台風報告.大阪管区異常気象調査報告9-3.
- 高橋 博ほか編(1987):豪雨・洪水防災.白亜書房.
客員研究員 水谷武司