防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
6. 破壊力の大きい山地内・山麓の谷底低地における洪水 -1957年諫早水害,1947・1948年一関水害,1953年熊本水害など
1957年諫早豪雨災害
1957年7月25日,九州北西部は梅雨前線末期の活動による集中豪雨に見舞われました.雨が最も強かったのは長崎県の多良岳南面から島原半島北部にかけての地域で,島原半島北岸の西郷では最大1時間雨量144mm,最大3時間雨量377mm,最大日雨量1,109mmを記録しました(図6.1 1957年諫早豪雨の雨量と本明川水位変化).この最大3時間雨量は現在でも日本における最大記録です.この集中豪雨は,停滞した梅雨前線上を低気圧が進んできたところへ北方の高気圧から寒気が流入し,さらに南から多量の水蒸気を含む気流(湿舌)が入ってきたことによるものでした.これは集中豪雨発生の典型的な気象条件です.上空への寒気の流入は下層との温度差を非常に大きくして,対流不安定による強い上昇気流をつくります.ここに湿った大気が流入して上昇すると,含まれる多量の水蒸気が急速に水滴に転換されて強い雨が降ります.気流が山にぶつかると山腹に沿って上昇するので,山の風上側では雨が多くなります.多良岳の南側で雨が多かったのはこの地形効果が加わったことによるものです.しかし一般に,集中豪雨は地形とほとんど無関係にどこででも起こっています.
この1957年7月豪雨により生じた山崩れ・土石流および河川の氾濫により,長崎県下で死者・行方不明815人,家屋流失・全壊1,303戸などの大きな被害が生じました.被害がとくに著しかったのは多良岳の南麓に位置する諫早で,市街を貫流する本明川が氾濫して大災害となりました.死者・行方不明は539人,家屋の流失・全壊727戸,半壊575戸,浸水3,409戸などで,市の総世帯の大半が被害を受けました.本明川は多良岳火山の南峰,五家原岳(標高1,057m)の山頂近くに源を発する延長20kmの小河川です.標高約100mまでの上流部は山頂から放射状に伸びる急傾斜の放射谷です.ここから有明湾沿岸低地までのおよそ7kmの区間では幅200~600mの谷底低地内を流れています.多良岳の他の放射谷とは異なり,山腹・山麓を巻くようにして流れているので,いくつもの谷が側面から流入して洪水時の流量を大きくしています.有明湾海岸低地に流れ出す谷の出口で谷底幅は半分程度になり狭窄部をつくっています.河道はここでほぼ直角に曲がり,また,谷底勾配は急減しています(図6.2 諫早の地形と1957年被災域).このような河道地形は洪水の疎通を妨げて流れを堰き上げ,激しい洪水を引き起こします.諫早市街は狭窄部をほぼ中央にして谷底部と谷出口の海岸低地に展開しており,本明川には多くの橋がかけられています.橋は洪水の疎通を大いに妨げます.
山地内谷底の激しい洪水流
洪水流中にある物体(建物など)が受ける力(流体力)は,流速の2乗と水深との積に比例します.また,水流の流速は水深の2/3乗と地形勾配の1/2乗との積に比例します.このことから,洪水流の及ぼす力は,その水深が大きいほど,また流れの場の地形勾配が大きいほど強くなることが分かります.勾配の緩やかな開けた平野における洪水流は,側方へ広がって水深が小さくなるので建物を破壊するほどの力はなく,破堤口付近などを除きほぼ浸水を被るだけで済みます.これに対し山地内の谷底低地のような地形のところでは,側方への広がりが制約されて水深は大きくなり,また地形勾配は大きいので,流体力の値は非常に大きくなって,流れの中の建物などを押し流す力を持つに至ります.強雨により山地上流域で山崩れ・土石流が発生すると,多量の土砂や流木が運搬されてくるので,洪水流の力はさらに増します.山麓で谷が開けたところでも地形勾配は大きいので,谷出口直下では激しい流れが維持されます.このように,勾配が大きく幅狭い谷底低地や山麓の谷出口付近では,破壊力の大きい洪水流が発生します.多数の死者や家屋の流失・全壊を引き起こした河川洪水災害の大部分は,このような地形のところに位置する市街域で起こっています(表6.1 山地河川洪水).
このいわば奔流洪水あるいは山地河川洪水では,河川水位の上昇は急激です.流域面積の小さい山地流域では降雨強度の増減にすぐに反応して水位が変化します.諫早では20時ごろ本明川水位がいったん下がった後急速に上昇しました.狭窄部左岸では10数分間に1.5mの上昇が観測されました.狭窄部の上流の谷底低地内市街では最大水深が3m,流速は毎秒4~5mに達しました.谷の幅は300~400mと狭く,勾配1/150とかなり急なので水深の大きい激しい流れが生じました.この谷底低地内における死者は全体の55%に達しました.狭窄部より下流では谷が大きく開け,勾配は1/400程度に低下します.しかし,大量の流木が橋を塞いで側岸への激しい氾濫を引き起こしたことも加わって,多数の家屋が流失しました.上流の多良岳火山斜面では多数の山崩れ・土石流が発生したので多量の流木が生産されました.この流木が大量に引っ掛かったアーチ型の眼鏡橋の両岸では,激しい洪水流が生じて大きな被害を引き起こしました.海岸低地部においては本明川に接する川沿い市街域で被害が大きく,ここでの死者は全体の25%でした.海の潮位変化の影響は狭窄部近くまで及びますが,このような激しい洪水流の運動には干満の影響はありません.
山地河川洪水の災害例
山麓の谷出口に位置していて大きな洪水災害を被った例として岩手県一関市や熊本市が挙げられます.一関は北上川の支流磐井川が扇状地状の谷底を下刻してつくった狭い河道内から開けた北上盆地に流れ出すところに位置します.右岸の中心市街地はやや凹状の地形のところにあり地表面勾配は1/150と大きいので,ある強度以上の雨が上流域に降ると,多数の家屋を破壊する激しい洪水流が発生する地形条件下にあります(図6.3 1948年の磐井川氾濫と一関の被害).1947年9月のカスリン台風による豪雨時には,死者101人,住家流失・全壊331戸の,翌年9月にはアイオン台風の豪雨により死者571人,流失・全壊802戸の大きな被害を2年連続して被りました.一関は広い北上盆地の最下流部(著しい狭窄部の直上流)にあるので北上川の氾濫による被害を頻繁に被ります.しかしこれは比較的穏やかな氾濫で,被害は浸水にとどまります.
熊本市街には阿蘇カルデラから流れ出す白川が北東から南西へと貫流しています.白川は市街北東部で丘陵・台地内を流れており,その谷底幅は1,000m未満,低地面勾配は谷出口付近で1/350です.1953年6月の梅雨前線豪雨(西日本水害)により白川は市街域で大規模に氾濫しました(図6.4 1953年白川の氾濫による熊本市の泥水害).市全体の被害は死者286人,住家流失・全壊1,513戸など著しいものでした.死者の大部分は谷底低地部において発生しました.洪水流は阿蘇火山からの大量の火山灰を含んで泥流状になって市街に氾濫し,非常に多くの建物を破壊しました.堆積土砂は100万立方mを超えました.
山地内谷底にあって大きな被害が生じた市街としては,1947年カスリン台風 時の桐生市と足利市,1953年西日本水害時の日田市,1958年狩野川台風時の伊東市などが挙げられます.かなり幅広い山地内谷底において全面氾濫して大きな被害を惹き起こした河川洪水としては,1953年の和歌山県有田川・日高川の洪水(南近畿水害),1958年の伊豆・狩野川の洪水(狩野川台風),1967年の新潟県荒川の洪水(羽越水害)などがあります.流域面積が大きいと流量が多くなって破壊力の大きい洪水が起きやすくなります.
河川洪水による死者の多くは,家屋の流失・全壊に伴って生じます.日本の木造家屋はかつては土台石の上に木の土台を載せるという置き基礎でした.この場合,浸水すると浮力によってたやすく浮きあがります.わずかでも浮けば流れによって容易に移動し破壊されます.1950年の建築基準法によって,土台は鉄筋の入った布基礎にボルトで固定するように定められました.この基準に従った家屋が次第に多くなってきた結果,1970年代になると流失家屋は非常に少なくなり,また洪水死者数も大きく減少してきました.
1970年以降において家屋損壊の多かった洪水としては,1983年島根豪雨時の三隅町の災害が挙げられます.三隅の中心地区は山地内の狭い谷底低地内にあって最大水深5mを超える洪水流に襲われ,流失・全壊130棟などの被害を被りました(図6.5 島根県三隅町の地形).洪水の経過を示す連続写真では(写真6.1 三隅における1983年洪水の経過)浮力が相対的に大きくなる平屋がまず流失していることが分かります.中国山地には谷底低地に位置する都市が多数あります.
洪水危険度の判定
山地内谷底における大規模洪水では,堤防はあったとして全面的に越流してほぼ地形なりに氾濫するので,地形勾配や谷底低地の幅などの地形条件から洪水の危険度を判定することができます(図6.6 破壊力の大きい洪水の発生条件).山地内谷底では堤防の機能に大きな限界があります.ダムによる洪水調節は利水と競合するので,やはり限界があります.このタイプの洪水では水位上昇が急速なので,迅速な避難が必要です.ただし同時に土砂災害の危険も避けねばなりません.段丘面上は安全ですが,このような地形がない場合には,低地内の中層RC建物を避難場所として準備しておくのは役立ちます.山地内や山麓の谷底低地では,これまでにも繰り返し洪水災害を被っています.諫早では1699年(元禄12年)に死者487名の大きな災害を受けています.熊本では1796年(寛政8年)に1953年を上回る洪水が起こっています.大規模な洪水は一般に再現期間100年以上の豪雨で起こりますが,一関のようにこれが2年連続して発生することもあります.過去の災害経験を伝承し,土地の危険度をよく認識して,避難などの緊急対応の態勢を高めておくことが必要です.
- 主要参考文献
- 科学技術庁資源局(1959):諫早水害に関する調査.資源局資料第27号.
- 河田恵昭・中川 一(1984):三隅川の洪水災害-洪水氾濫と家屋の被害-.京都大学防災研究所年報27,B-2.
- 九州治山協会編(1958):日本の特徴的水害の実態と対策-諫早水害-.日月社.
- 熊本市教育委員会(1953):熊本市泥水害分布図.
- 水谷武司(1991):山地内都市の洪水災害危険度評価.総合都市研究42.
- 島根県(1984):昭和58年7月豪雨災害の記録.
- 竹内清文(1950):アイオン台風による磐井川の洪水に就て.資源調査会報告第6号.
- 全国防災協会(1965):わが国の災害誌.
客員研究員 水谷武司