防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
22. ユーラシア大陸東岸の島国日本は冷夏による災害を地球上で最もうけやすい -1993年平成大凶作,1980年冷害,1783~88年天明大飢饉など
冷夏発生の自然地理条件
夏季の低温と日照不足は,主食作物の収穫不足をもたらし,大きな社会経済的混乱・苦難を引き起こし,ときには多数の餓死者を発生させています.冷夏による災害は,自然地理的条件および農耕形態ゆえに、ユーラシア大陸東岸域,特に島国日本において地球上で最も激しく現れるので,昔から日本とりわけ東北地方は,寒い夏に苦しめられてきました.江戸時代における享保・天明・天保の3大飢饉はとりわけ悲惨なもので,それぞれ100万人規模の死者が出たと推定されます.明治以降にも数年に1回の頻度で冷害は起こり,その後日本国家がたどった方向に影響を与えたほどでした.最近では1993年の冷夏が著しく,水稲の作況指数は全国平均で73という超大凶作でした.しかし米の値段が3倍にもなって困ったことぐらいで,餓死者などはもちろん出ませんでした.凶作が飢饉(多数の人が飢え苦しむ状況)に発展するのは専ら社会的な条件によります.世界的にみると干ばつ,いわば乾いた夏,の影響は著しくて,これによる死者は20世紀後半だけで1,000万人を超えたと推定されます.
北緯30°~50°の地帯は,北方の冷たい極気団と南方の暑い亜熱帯気団の境界である寒帯前線帯にあたります.気団の境界には強い偏西風(ジェット気流)が吹いています.太陽高度の変化により前線帯は全体として夏に北上し冬には南下しますが,偏西風帯の蛇行によってもその位置は場所ごとに異なった南北振動を起こします.気象現象は大気圏最下層の対流圏で起こりますが,この厚さは中緯度において12~14km程度で,地球の大きさ(赤道から極までが10,000km)からみると非常に薄い層です.
ユーラシア大陸中央部には高さが対流圏の半分近くを占めるヒマラヤ・チベットの高山岳域があります.夏の初めに亜熱帯のジェット気流はヒマラヤのところまで北上して流れが大きく乱され,チベット高原の北側に大きくジャンプします.これがヒマラヤ登山を妨げるモンスーンの到来です.風下にあたる東岸域(極東域)では,ジェット気流は大きな波動を起こし,また,山岳の南と北を回りこむ流れが合流して強くなります(図22.1 大陸山岳の偏西風波動に与える影響).夏の日射によって高温になる大陸(とくにチベット高原)と低温のオホーツク海や北部太平洋との間には,その温度差のために顕著な気団の境界がつくられることも,東岸域でジェット気流を強くしその方向を南北に向ける働きをします.北米大陸に比べると陸地や山岳の規模が大きいので,乱れの規模は大きくなります.南半球にはこの緯度帯に広い陸地はありません.ユーラシア東岸域は地球上で偏西風の波動の最も著しい地域です.
偏西風が大きく波動して極気団が南へ張り出し,ブロッキングされた状態となって持続すると,低温が継続します.停滞した気団の境界は前線帯となり雨天と日照不足が続きます.日本は島国であり,気流はすべて海を渡ってくるので下層に多量の水分を含みます.これが霧をつくり,また雨を多くして,日射を妨げ低温をもたらします.活発な光合成活動を行って多量の生産物を貯蔵する穀物にとって,日照不足は大きな障害です.
冷害の農耕条件
ユーラシア大陸東岸域はモンスーン気候下にあり,夏には南東からの気流に支配されてかなり高緯度まで暑いのが通常であって,冷夏は北日本で数年に1回程度の頻度です.降水量もまた多く,同緯度の他地域の2~3倍あります.暑い夏の年が多く水が豊富という環境条件を生かして,人口支持力の大きいイネが主食穀物として栽培されています.イネは熱帯・亜熱帯が原産地(雲南からアッサムのあたり)で,生育に高い気温が必要です.イネ・小麦・トウモロコシが世界の3大主要穀物ですが,イネは小麦・トウモロコシに比べ2倍ほどの温度積算量を必要とします(図22.2 主要作物の温度要求度).従って,稲作地帯において夏の低温の影響は特に大きくなります.
長年にわたる品種改良の努力により,現在日本の水稲作の中心地は,東北地方の日本海側から北陸にかけての地域にあります.ここは寒冷積雪地帯にあたるので一見奇異に感じられますが,実は寒冷地の自然環境は,冷害と病虫害が回避されるならば,稲作にとって有利なのです.これは,緯度が高いので日照時間が長い,気温の日較差が大きい,東北地方では太平洋側に比べ日本海側のほうが夏季に晴天の日が多く気温も高い,呼吸作用による光合成物質の消費量が低温のため少ない(穀実としての貯蔵が多い),融雪により多量の水が継続的に供給される,などの理由によるものです.イネの光合成能力は22℃~32℃の間ではほとんど変わりはなく,一方呼吸作用は温度の上昇とともに激しくなるので,純生産量は低温のところほど多くなります.このため,単位面積あたり収量の最も多いのは,津軽平野南部,横手盆地,山形盆地,米沢盆地,会津盆地で,いずれも気温日較差の大きい内陸の盆地です.この地域の収量が全国で最高になったのは1960年ごろで,苗代改良によって早植が可能になり栽培期間が短縮されたことが大きく貢献しています.しかし,冷夏が克服されたわけでは決してありません.
冷夏の気圧配置
日本に冷夏をもたらす気圧配置には,北東気流型と北西気流型(寒冷セル型)があります.北東気流型はヤマセ型と言われるもので,夏季になっても北方の気団であるオホーツク高気圧が強くて日本付近にまで張り出し,北日本の太平洋側に冷湿な北東気流(ヤマセ)を送り込むというものです(図22.3 ヤマセ型の気圧配置).この気流は寒流である親潮の上を吹いてくる間に下層が冷却されて,霧が発生します.これが北海道および東北の太平洋岸に吹き込んで低温と日照不足をもたらします.ヤマセの気流は,下層ほど気温が低いという安定成層状態のために,いわば上から押さえられて,高さが500m~1,500mと低いので,その気流の動きは山地地形の影響を大きく受けます.したがって,脊梁山脈を越えた西側では,フェーン現象が起こることもあって,あまり低温にはなりません.ヤマセ型の気圧配置は,梅雨時にはほとんど常に出現しています.これが持続すれば長梅雨となります.
北西気流型は,夏季になっても大陸が低圧部とならずにシベリア高気圧が残り,寒冷な北西気流が寒冷渦(セル)となって日本付近に流れ出すものです.気圧配置は西高東低の冬型のようになります.この場合は沿岸域に限定されず,北日本あるいは日本の全域が低温になる可能性があります.西日本が酷暑になることもあります.南の気団である太平洋高気圧の張り出しが弱いと,相対的に北の気団が優勢になって冷気が南下します.エルニーニョの時には太平洋高気圧の中心が東に偏るので,日本では冷夏になる可能性があります.
東北地方では7~8月の平均気温がおよそ22℃(平年との差が約-1℃)を下回ると,水稲に被害が現れてきます.水稲にとって22℃~26℃が適温であり,24℃付近で収量が最大です.生育期の低温は成長が遅れるという遅延型冷害を,生殖期の低温は実が結ばないという障害型冷害を引き起こします.とくに減数分裂期(出穂前5~15日前)の低温は大きな影響を与えます.夏を通じて低温が続くと遅延型と障害型の冷害が重なって大凶作となります.前線が日本付近に停滞すると長雨と日照不足によって,さらにそれによる病虫害の発生が加わり,減収は一層大きくなります.収量の多い晩生種は,栽培期間が長いので冷害を受けやすい品種です.
1993年平成大冷害
1993年には北東気流型と北西気流型とが重なって,8月になっても全国的に低温・日照不足が続き,気象庁は南西諸島を除き梅雨明け日を確定することができませんでした(図22.4 1993年7月,8月の天気図).6~8月の平均気温の平年値との差は東北太平洋岸で-3℃,西日本太平洋岸でも-1℃でした.また,長雨が続き,降水量は西南日本では平年の1.5倍を超え,日照時間は平年の50%程度でした(図22.5 1993年6~8月の平均気温と日照時間の平年差).これにより水稲の作況指数は全国平均で74,東北三陸沿岸では10以下という超大凶作になりました(図22.6 1993年の全国水稲作況指数).農作物の被害額は1兆円(内水陸稲81%,地域別では東北51%,北海道23%)に達しました.このため米200万トン(年消費量の2割)が緊急輸入されました.なお,奄美地方以南では通常の暑い夏でした.1980年にも大冷害が発生し全国の作況指数は86,農作物被害金額は7,000億円でした.これはヤマセ型であったので,東北地方三陸沿岸で作況指数が10以下であったのに対し,秋田・山形の日本海沿岸では100を越え平年並みの収穫となり,地域差が大きく現れました(図22.7 東北地方の1980年と1993年の水稲作況指数).1980年にはオホーツク高気圧が枝分かれして日本海に張り出し,朝鮮半島にヤマセを送り込みました.このため韓国の作況指数約60という大凶作となりました.耐冷性の劣るインディカ種が主であったことが一つの要因となったと言われています.
繰り返す大飢饉
北日本の夏季気温の年変動は大きく,数年に1回の割合で冷夏に見舞われています.とくに18世紀から19世紀半ばにかけて地球全体の気温が低下し,日本でも頻繁に冷害とそれによる飢饉が起こりました.この期間には3年に1回の頻度で東北凶作・大凶作の記録が見られます.とりわけ,享保(1717~20),天明(1783~89),天保(1833~38)の冷害・病虫害による飢饉は著しいものでした.当時の人口統計から,それぞれ100万人ほどの死者(多くは餓死)が出たと推定されます(図22.8 江戸中・後期における日本の人口推移).天明の冷夏は,1783年の浅間山の噴火による多量の火山灰の噴き上げが一原因となりました.1815年のインドネシア・タンボラ火山の噴火では,大量の細粒火山灰の吹き上げと日照不足による収穫不足のため,約8万人の餓死者が出ました.明治以降での著しい冷夏年には1869年(M8),1905年(M38),1934年(S9),1954年(S29)があります.第二次大戦前では冷夏は多くの人が飢え苦しむ飢饉を引き起こしました.収穫不足が飢饉にまで至り死者が生ずるか否かは,社会の安定度や経済水準などに依存します.今後,食料輸入が困難になれば,飢饉が発生する恐れがないとは言えません.
冷害防止対策には,水の貯熱力を利用する深水かんがい(水温を決めるのは日照),冷風を遮る防風ネット,耐冷品種の採用,病虫害防除,施肥技術などがあります.しかし必要となる資金,機械化への障害,銘柄米への指向等,その実現への障害が数多くあります.天候状態はかなりの変動を繰り返しながら推移していくのが正常な状態です.農作物生産がこのような天候の支配を受けるのは不可避です.従って被害が避け得ないからには,保険・共済・相互扶助の制度で損失負担を分散させるのが,変動を常とする気象・気候条件に適応する方策です.現在農業共済制度は国の大きな資金援助の下に行われ,被害の60%程度はそれによりカバーされています.
- 主要参考文献
- 朝倉 正ほか編(1995):新編気象ハンドブック.朝倉書店.
- 菅野洋光(1994):平成大凶作:北日本(東北日本)の冷害.地理39-6.
- 気象庁(1994):平成5年冷夏・長雨調査報告.気象庁技術報告第115号.
- 水谷武司(2002):自然災害と防災の科学.東京大学出版会.
- 中村和郎ほか(1980):日本の気候.日本の自然5,岩波書店.
- 日本損害保険協会(1991):地域別「気象災害の特徴」.
- 山川修治(1994);特集平成大凶作:グローバルにみた天候異変.地理39-6.
客員研究員 水谷武司