防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
11. 大陸棚が広大な湾岸デルタでは大きな高潮が発生する -1970年・1991年バングラデシュのサイクロン災害,2005年ニューオーリンズ高潮災害
バングラデシュのサイクロン災害
1991年4月29日の深夜,発達したサイクロンの来襲により,ベンガル湾最奥部のガンジスデルタ海岸は最高潮位が7mを越える大きな高潮に見舞われました.死者・行方不明は公式には13.8万人ですが,30万人に達するという推定もされています.これはとりわけ大きな災害でしたが,死者1万人を越える高潮災害は,バングラデシュにおいて10年に1回程度の頻度で発生しています(表11.1 バングラデシュにおけるサイクロン災害).1970年11月の高潮被害は最大で,死者数は30~50万人あるいは100万人を超えるとも言われていますが,確かなことは分かりません.当時の国名は東パキスタンで,西パキスタンからの分離独立をめぐって内戦のような状態にあり,この災害の救援・復旧についての不満がバングラデシュ独立を早めたとも言われているほどです.20世紀後半における自然災害死者数を国別でみると(国連統計),バングラデシュが世界最多の75万人で,この95%が高潮によるものでした.バングラデシュにおける大高潮災害の頻発は,高潮の潮位を高くする海岸地形の条件と,人的被害を大きくする社会的な要因(主として貧困)の組合せによるものです(図11.1 ベンガル湾における高潮発生の自然地理的要因).
ベンガル湾における高潮発生の要因
発達した熱帯低気圧(サイクロン・ハリケーン・台風など地域により異なった名称が与えられています)は,主として強風による海水吹き寄せにより海岸での潮位を高めます.ベンガル湾は北を上にした釣鐘のような平面形をしており,その中に日本列島全体が収まるほどの巨大な湾です.北半部は三角形状で,頂点付近に大量の土砂を搬出する大河川ガンジス・ブラマプトラが流入し,非常に遠浅の海岸をつくっています.水深10mの等深線は河口から100kmもの沖にあります.バングラデシュ海岸の中央部は,湾の最も奥まったところに位置します.これらは強風の吹き寄せ量を非常に大きくする海岸地形の条件です.吹き寄せによる海面上昇高は最大風速の2乗にある係数を掛けた値になります.この係数は水深が浅いほど,また湾の長さ(風が吹き渡る距離)が長いほど大きくなります.ベンガル湾最奥部における係数の大きさは,日本の高潮危険湾である大阪湾や伊勢湾のそれの2倍程度になると推定されます.天文潮の干満差も大きく,デルタの東端にあるサンドウィップ島では5mに達します.1991年高潮時の天文潮位はおよそ2.1mで,これがサイクロンの強風と低い気圧による海面上昇(潮位偏差)に加算されて大きな高潮に発展しました.
強い熱帯低気圧は緯度が10~15°のところで発生します.これよりも低緯度では気流の渦をつくる力(地球自転に起因するコリオリ力)が弱いので発生がありません.ベンガル湾の南縁(インド南端)は北緯8°です.したがってサイクロンは湾内で発生し,発達しながら湾内を奥に向かって進行します.バングラデシュの海岸は北回帰線近くの北緯22°付近に位置しますが,これは石垣島の200kmほど南にあたるところで熱帯の海域です.したがってサイクロンのエネルギー源となる海水の温度は高くて,その勢力を落とすことなく,ほとんど最盛時にバングラデシュ海岸に来襲します.1991年4月のサイクロンは湾中央部で勢力を急速に増し,チッタゴン付近に上陸する直前には,中心気圧が940hpaという最も発達した段階に達していました.ベンガル湾におけるサイクロンの発生は年平均3~4個程度です.中心気圧はとくに低いものではありませんが,気圧のわりには強い風を伴っています.
高潮被害拡大の要因
世界最大の高起伏山地ヒマラヤを水源とするガンジス川は,ヒマラヤを横切りチベット高原に源をもつブラマプトラ川と合流してベンガル湾に流入しています.運搬土砂量は世界の河川中最大で,海岸部の幅400kmという広大なデルタをつくっています(図11.2 ガンジスデルタの地形).主河口の位置は頻繁に変化してきましたが,現在では最も東部(バングラデシュ中央部)にあります.年10億立方mという大量の運搬土砂は河口部に多くの州(島)をつくります.州は水位の高い洪水時に土砂が堆積して形成されるもので,海抜1~10mとかなりの起伏があります.州はその後の洪水や高潮による侵食と堆積によって速やかに形を変えていきます.1970年高潮で壊滅的な被害を受けたハチヤ島(住民25万人)は,北島がその後陸続きとなり,南島は年1km近くも南へ移動しています.1991年に著しい被害をうけたサンドウィップ島では,侵食により多くの集落が相次いで消滅しています(図11.3 ガンジス河口域における地形変化).高潮の危険が非常に大きいこのような島が多数あり,またそれが新しく形成されつつあるということは,経済水準の低さと相まって,多数の人々が非常に危険な状態で居住するという状況をつくりだしています.
サイクロンの発生期は,モンスーン前の4~5月と,モンスーン後の10~11月の年2回あります.これはちょうどコメの収穫期や植付け時期にあたるので,非常に多数の季節労働者が沿岸域の仮小屋などに一時居住しています.また,新しく出現した土地(高潮の高危険地)には,不法居住者が争って住みついています.このような非定住者が高潮でさらわれても,行方不明者としても数えられないのが実情です.行政当局による死者数の把握は主として定住者を対象にしてなされているようです.公式発表の数倍にもなる死者数が推定されているのは,このような事情によるものです.
国民の80%は農業により生計をたてています.また農民の60%は所有する土地がないか,あるいは極めて少ないという,実質的な土地無し層です.沿岸部では侵食により土地を失う世帯も出現します.これら多くの人々は必然的に出稼ぎの季節労働者になります.バングラデシュの人口は年間230万人程度増加しています.この人口圧力は土地なし層をさらに増大させます.バングラデシュの1人あたりGNPは360ドル(1997年)で,日本のそれの1/100以下です.主産業は農業(コメ,ジュート,紅茶など),成人識字率は38%(1995年)です.識字率の低さは災害情報の伝達や防災知識普及の障害になります.人的被害の多い災害は貧困と密接に関わり,途上国において多発しているのです.
1970年と1991年のサイクロンの規模はほぼ同じで,上陸はどちらも深夜でした.日本に来襲する台風と比較すると,中心気圧は特に低いというものではありません.表11.1の「風速」は最大瞬間風速で,これを平均風速に換算すると,両者の比が1.7程度なので,ほぼ秒速36mになります.この風速で8~9mの高潮が発生しているので,吹き寄せの項の係数が日本の湾の2倍程度になると推算されます.つまり,同じ規模の熱帯低気圧であっても,ベンガル湾の高潮は2倍近くの高さになるということです.死者数以外の被害は,1991年が1970年の2~4倍です.この間の21年間に人口は4,500万人増加(64%増加)しています.これらの被害高の増大は大きな人口増加の反映でもあるでしょう.被害金額は日本からみれば少ないものです.しかしGNP比でみると,1991年の場合10%を越えており,兵庫県南部地震のそれの2~3倍です(図11.4 1991年高潮の被害分布).
高潮避難対策
死者数については,その数値に大きな不確定さはあるものの,1991年のそれは1970年の半分程度でした.これはサイクロンシェルターの建設によるところが大きいとされています.シェルターはピロティ構造の3階建てのものが標準的です(写真11.1 サイクロンシェルター).1970年災害後300のシェルターが作られ(計画では12,500),ここに35万人が避難しました.しかし,危険な沿岸域の人口は1千万を超えるので,これでは全く数不足です.5万人の死者を出したサンドウィップ島では,建造されたシェルターは全人口40万人の5%しか収容できませんでした.シェルター建造には日本を含め多くの国や機関から資金援助がなされています.しかし建設用地の取得に隘路があるようです.家・財産・家畜,さらには土地そのものを略奪から守るために,住民は遠くのシェルターへの避難を嫌がります.イスラム社会では女性は,極度に混雑するシェルターへ男性と一緒に押し込められることを避けようとします.貴重な財産である家畜の保護も避難を妨げます.このため家畜を収容するための盛土地の建造が予定されています.
主要な避難方法は近くの樹木に登ることです.1970年の災害を被ったガラチパにおける調査では,住民の49%が死亡,51%が生存で,この51%のうちの38%(生存者の75%)は木に登って助かり,4%はコミュニティセンターに避難し,8%は堤防上にとどまったとされています.なお,樹木に登っていた人の衣服は強い流れや風によってほとんど剥がされています.浸水域の樹木には毒蛇も泳ぎ着いてきて危険です.災害後の食料欠乏・衛生悪化・飼料不足などは,途上国ではとくに深刻な事態をもたらします.生存者の病気や飢えの問題は重大ですが,それ以外にも,たとえば1970年災害では,水産活動の65%が破壊されて動物蛋白の80%を魚に依存している国民に大きな健康上の問題を引き起こしました.家畜,とくに水牛の損失は次期の水田耕作に大きな支障をきたしました.
1991年以降2006年までバングラデシュでは大きな高潮災害は発生していませんが,これはサイクロンのコースがはずれたことによるもので,隣国のインドでは1998年に死者2,900人,1999年に9,500人の大きなサイクロン災害が発生しています.インド領土内のガンジスデルタ沿岸部はマングローブに覆われた広大な湿地で,居住者は少ないと思われます.2007年11月には死者数約5,000人のサイクロン災害がバングラデシュで発生しました.バングラデシュの対日輸出の最大品目はエビです.この多くはマングローブ林を切り開いてつくった養殖池で生産されており,日本も高潮の危険増大にかかわっています.高潮は他の災害に比べれば,予報・警報・避難によって人的被害の発生を防ぐことがより可能です.しかし避難を妨げる人間的・社会的要因(とくに経済的な問題)は多く存在するので,防災当局の一方的な期待どおりにはいきません.貧困からの脱却がなければ途上国の防災は困難です.
メキシコ湾北岸における高潮災害
強い熱帯低気圧の襲来域にあり広大な大陸棚が形成されている地域として,メキシコ湾北岸があります.2005年にはミシシッピデルタにあるニューオーリンズがハリケーン・カトリーナの高潮により大きな被害を被りました(図11.5 2005年ハリケーン・カトリーナによるニューオーリンズの高潮).被害額は1,000億ドルを超えました.ニューオーリンズの市街は海面下の土地が大半を占める盆状地に展開しており,高潮に対する脆弱性が非常に大きいところです.米国における最大の風水害は,テキサス州ガルベストン(ニューオーリンズの西500km)における1900年高潮災害で,死者数はおよそ1万人でした.ガルベストンはアメリカ本土から4kmほど離れた幅2~3kmの細長い砂州に位置する街で標高が10m以下であり,ここも高潮の危険が非常に大きい都市です.
- 主要参考文献
- 防災科学技術研究所(2006):ハリケーン・カトリーナ災害調査報告.主要災害調査第41号.
- 松田磐余(1991):バングラデシュ高潮についての若干の考察.総合都市研究44.
- 海津正倫(1989):バングラデシュの自然環境と水害.地理34-3.
- 海津正倫(1991):バングラデシュのサイクロン災害.地理36-8.
- Bangladesh Centre for Advanced Studies(1991): Cyclone '91.
客員研究員 水谷武司