防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
10. 台風が深夜に来襲すると人的被害が昼間に比べ数倍にもなる可能性がある -1959年伊勢湾台風高潮,1953年13号台風高潮
1959年伊勢湾台風災害
1959年の伊勢湾台風災害は日本における史上最大の風水害といえる規模であって,死者5,040人,住家流失・全半壊153,930戸などの激甚な被害をもたらしました.以後多くの地域で「伊勢湾台風クラスの台風が来襲した場合」というのが高潮防災計画の設定外力とされるようになりました.史上最強の台風は1934年の室戸台風(陸上での観測最低気圧911.9hpa,死者3,036人,住家流失全半壊92,323戸)で,中心気圧や強風圏の広さなどからエネルギー規模が伊勢湾台風(観測最低気圧929.5hpa)の2倍近くであったと推算されています.
1945年9月の枕崎台風(最低気圧916.6hpa,死者4,229人,流失全半壊109,713戸)は,伊勢湾台風を少し上回るエネルギー規模でした.従って伊勢湾台風は強さで第三位ですが,被害の規模では最大です.台風が,臨海大都市および広大なゼロメートル地帯をもつ伊勢湾の湾奥に大きな高潮を発生させるコースをとり,しかもそれが夜間であったことが被害を非常に大きくした主因です.伊勢湾沿岸の高潮被災市区町村における死者数は4,080人で,全体の8割を超えました(図10.1 伊勢湾台風高潮による被害分布).避難行動に不利な夜間に台風が来襲すると,昼間に比べ死者は多くなります.もし伊勢湾台風が朝~夕の時間帯に来襲していたならば,数分の1以下にもなった可能性が大です.枕崎台風は,混乱していた敗戦直後の広島地方を夜間に襲ったことが,多くの死者をもたらすことにつながりました(表10.1 三大台風の比較).
1959年9月21日にマリアナ海域東部に発生した台風15号(伊勢湾台風)は北西進しながら急速に発達して,23日には中心示度が895hpaにまで深まり,25日には風速25m/秒以上の暴風圏半径が400kmにまで拡大しました.以後勢力をあまり低下させることなく北上して,26日18時に潮岬付近に上陸しました.潮岬で観測された最低気圧は929.5hpaでした.上陸後,台風はさらに加速して北北東に進み,21時過ぎに名古屋西方40kmのところを通過し,6時間あまりで本土を横断して,24時に富山市の東方で日本海に抜けました.この間の進行速度は時速70km(秒速20m)という高速でした.この進路は進行右側の伊勢湾の湾奥に継続して海水を吹き寄せるコースとなったので.最高潮位3.89m(名古屋港)という日本において観測された最大の高潮を発生させました(図10.2 伊勢湾における高潮).
台風による高潮の最大潮位
台風は,低い気圧による海水の吸い上げと強風による海岸への海水の吹き寄せにより海面を高くします.この気象を原因とする海面上昇分を潮位偏差といいます.実際に観測される潮位にはこれに天文潮が加わっています.名古屋港において最大潮位を記録した21時35分における天文潮は0.44mと推算されるので,これを差し引くと最大潮位偏差は3.45mとなります.このときは満潮と干潮のほぼ中間であり,もし干潮時(2.5時間前)であったなら最大潮位は0.2mほど低くなっていたはずですが,それでも最大潮位は3.69mほどで,室戸台風時の大阪港における最大潮位3.10mを大きく上回るものでした.満潮時には潮位は一層高くなり危険ですが,干潮時でも台風の強さやコースによっては大きな高潮が発生することを忘れてはなりません.
気圧が1hpa下がると海面はほぼ1cm高くなります.名古屋港で観測された最低の気圧は954hpaなので,気圧低下量(1気圧1013hpaとの差)は59hpaとなり,吸上げによる海面上昇量はほぼ0.6mです.したがって,これ以外の潮位偏差分2.85mは海水の吹き寄せによるものです.陸地に向かって吹く風は海岸部に海水を吹き寄せて海面を高くします.海水の逃げ場のない浅くて奥深い湾内ではとくに高くなります.
台風の強い風をつくる基本的な力は,中心の低い気圧によって生ずる気圧傾度力です.これにさらに遠心力,コリオリ力(地球自転に起因する見かけの力で北半球では進行の右側直交方向に作用),地表との摩擦力が合成された結果として,反時計回り(北半球の場合)で螺旋状に中心に向け吹き込む風が生じます.このため台風進行の右側では風向が進行方向に一致するので,両者の速度が加算されて風がより強くなります.したがって,高速で進行する中心気圧の低い台風は,進行右側にある湾内で大きな高潮を発生させます.風は反時計回りで吹くので,台風が南から接近してくる場合,その進行右側では風向が東方向から南方向へと変化して,最接近時には強い南風(進行方向に平行の風)が吹きます.伊勢湾は「く」の字のような形で,太平洋に向け南東方向に開口しています.台風は潮岬に上陸し北北東に進行したのですが,これは湾北部の長軸に平行です.この結果,まず東方向からの強風によって沖から湾内に送り込まれた海水は,しだいに南向きに変わっていく風によりさらに湾奥へとまっすぐに吹送される状態が続いて(吹送距離が長くなって),大きな高潮が発生しました(図10.3 伊勢湾内における海水の吹き寄せおよび暴風の継続).
この6年前(1953年)に13号台風が,潮岬東方通過時の中心気圧930hpaという伊勢湾台風に匹敵する強さでもって伊勢湾に来襲しました.この台風は紀伊半島から伊勢湾中央部を横断して18時すぎに知多半島に上陸し,三河湾北方を東北東に進行しました.進行右側にあたった三河湾では最大3mの高潮が発生し,愛知県下で死者75人,住家全半壊10,704戸などの被害が生じました.伊勢湾の湾奥は進行の左側であったので,再接近時には北からの風で吹き寄せは起こらず,名古屋における高潮被害はわずかでした.
伊勢湾台風高潮の陸地内流入
伊勢湾台風の記録的な高潮は,海岸堤防を越流しあるいは破壊して内陸に進入し,300平方kmを水没させました.海岸および河川の堤防の破堤は220箇所,総延長は33kmに達しました.海岸堤防の破堤の主原因は,越流・越波した海水による裏法面の洗掘でした.高潮海水の到達範囲は沿岸低地の地形によって決められます.濃尾平野沿岸域には非常に低平な三角州および干拓地が広がっています.海面下の土地は日本最大で,面積は1975年現在で180平方km,その40%はマイナス1m以下でした.平野の基盤は西に傾く傾動を行っているので,ゼロメートル地帯は平野西部において内陸深く入りこんでいます(図10.4 濃尾平野の地盤高分布).このデルタ域における浸水域限界はほぼ0m等高線に一致し,海岸からの距離は最大で20kmにもなりました.(図10.5 伊勢湾台風の高潮による浸水域・日数).
陸地内に流入する高潮の流速は,海岸部では時速数km以上と速いものの,一般に上り勾配を示す陸地面を内陸に進行するにつれて急速に低下します.したがって広いデルタ内では進入に数時間以上といった長い時間を要します.一方この間に,台風が遠ざかることによる気圧上昇と風速低下により,海面は平常潮位に向かって低下していきます.一般に最大潮位の後 5~6時間程度で,平常の潮位に戻ります.海域での潮位低下は陸地内に流入した海水を引き戻すので,広い平野では,高潮最大潮位までの標高の範囲が,全面浸水するということは起きません.また,低地内の鉄道・道路の盛土路盤や河川堤防は海水の流入を妨げて,その内陸側での水位を低下させます(図10.6 陸地内における高潮浸水位の低下).一方,伊勢湾東部沿岸域のように丘陵が海岸近くにまで迫っている幅狭い海岸平野では,ほぼ最大潮位までの地盤高域が浸水しました.高潮は大きな流動力をもって海岸線から流入するので,勾配の大きい海岸平野では津波のような這い上がりも生じました.
台風・高潮災害の被害度
被害は流体力(流速の2乗と水深の積)の非常に大きい海岸部で集中発生しました.とくに,避難する高地などのないデルタ沿岸部,とりわけ干拓地では多数の死者がでました.これに対し高潮の直撃を受けない内陸部では,全面浸水を被っていても人的被害は少なくなっています(図10.7 伊勢湾台風高潮による人的被害度の地形による差).住家流失全壊数と死者数との比で示す人命被害度は,デルタ沿岸区町村(南区,港区,弥富町,木曽岬村,長島町など)においてデルタ内陸町村のそれの約8倍という大きさを示しました.住家損壊数は居住域に作用した加害力の大きさを間接的に示す値になります.被害度が最も大きかったのは,最前面に位置する鍋田干拓地で全戸が流失し,死者率は42%という著しいものでした.入植はこの年の春からであり,入植者は海を知らない長野の山村から来た人たちでした.デルタ沿岸では中層のRC建物を配置して避難所とする必要があります.災害後,2階の屋根に突き出た小さな3階をつくり,避難場所および脱出口とした家屋が多数つくられました.名古屋市南区では死者が1,500人にもなりました.この大部分は臨港貯木場から流出した大量の巨木が沿岸住宅地を襲ったことによるものでした.
第二次大戦後の1940・50年代には死者数の多い台風災害が頻繁に発生しました.この大部分は深夜に上陸した台風によるものでした.深夜には状況の把握,情報の伝達,避難の実行など避難行動を妨げる多数の要因があり,人的被害を大きくします.死者数と台風上陸時勢力(中心気圧と台風圏の広さにより算定)との比で示す人命被害度は,深夜台風では昼間上陸台風に比べ5~10倍の大きさでした.1960年代以降この差は次第に小さくなり,現在ではほぼ無くなっています.これは経済水準の上昇に伴う住宅の質の向上,テレビなど効果的情報伝達手段の普及,夜型社会への移行などによるものです.伊勢湾台風大災害の教訓が生かされたことも当初は貢献しています(図10.8 台風被害度の経年変化).
伊勢湾台風では,暴雨警報が10時間前に出されていたのですが,住民はそれを重大視せず,事前避難対応はほとんどありませんでした.6年前の13号台風の軽微な被害が危険意識を薄めていたことも考えられます.この2年後,大阪は第二室戸台風の高潮により臨港低地が広範囲に浸水しましたが,高潮による直接の死者はわずかでした.この違いは,大阪が室戸台風など近年たびたび大きな高潮に見舞われているという直接の災害経験に,同じような土地条件にある名古屋での大災害の教訓が加わって,的確な避難行動が行われた結果によるところが大きいと推測されます.災害経験はすぐに風化します.災害を忘れないようにすることがなによりも大切です.
- 主要参考文献
- 愛知県(1960):愛知県災害誌.
- 気象庁(1961):伊勢湾台風調査報告.気象庁技術報告第7号.
- 建設省(1962):伊勢湾台風災害誌.
- 建設省地理調査所(1960):伊勢湾台風による高潮・洪水状況調査報告.
- 建設省地理調査所(1960):伊勢湾台風による高潮・洪水と地形との関係.
- 水谷武司(1987):防災地形第二版.古今書院.
- 名古屋大学災害科学調査会(1964):伊勢湾台風災害の調査研究報告.
- 日本建築学会(1961):伊勢湾台風災害調査報告.
客員研究員 水谷武司