防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
14. 高い尾根を乗り越えたり大津波を起こしたりする巨大崩壊による岩屑なだれ -1970年ペルー地震によるワスカラン岩屑なだれ,1984年長野県西部地震による御岳崩れなど
巨大崩壊と岩屑なだれ
1970年5月31日のペルー地震(M7.7)により,ペルーアンデスのワスカラン北峰(6,560m)の山頂直下の急崖が厚いアイスキャップと共に大規模に崩壊しました.大量の岩塊と氷は落下する間にモレーンの岩屑などを取り込んで体積約1億立方mの巨大岩屑なだれに成長し,平均時速300kmを超えるという超高速で山麓に向け突進しました((図14.1 ペルー地震によるワスカラン岩屑なだれ).岩屑なだれの一部は谷底からの高さが230mある尾根を乗り越え,人口2.5万人の街ユンガイを5~10mの厚さに埋めました.死者はここだけで約1.5万人に及びました.日本では,1984年の長野県西部地震(M6.8)により,木曽御岳にて土砂量3,600万立方mの巨大崩壊と岩屑なだれが発生しました.1792年に雲仙岳・眉山が,おそらく地震が主要な誘因となって,総体積3.4億立方mの巨大崩壊を起こし,有明海に突入した大量の岩屑は対岸の肥後に最大高さ23mの津波を発生させました.死者はおよそ1.5万人でした.土砂量が巨大であると流動層が厚くなって駆動力を大きくするので,非常な長距離を高速で運動します.
崩壊土砂量が数千万立方m以上の規模のものを巨大崩壊あるいは山体崩壊と呼んでいます.このような崩壊のほとんどは地震および火山噴火が誘因となって発生します.なお,降雨による斜面崩壊の土砂量は数万立方m以下であり,地すべりは数十万立方m程度のものが大部分です.降雨とは違い地震や火山噴火は山体全体を振動し変形させるので,深いところでせん断破壊が生じて崩壊が大規模になる可能性があります.巨大崩壊が起きやすいのは,大起伏で大きな体積をもち深部亀裂の生じやすい地質構造の山体です.円錐火山(富士山型の成層火山など)は粒度や固結度の違う種々の火砕物(マグマが様々な大きさに粉砕されたもの)や溶岩流などが,大きな傾斜の流れ盤構造で積み重なって構成されており,また熱水(温泉水)により変質をうけるのできわめて不安定で,噴火や地震を引き金として大規模に崩壊しやすい地形の代表的なものです.なお,流れ盤とは,地層・岩層の傾斜方向が斜面傾斜の方向と同じ場合をいいます.
岩屑なだれの運動
大量の崩壊土砂は大規模な岩屑なだれ(debris avalanche)となり,深い谷を埋め高い尾根をも乗り越えて高速で流下して,非常に遠方にまで到達します.これは豪雨時に生ずる土石流と同じ性質の集合的土砂流動ですが,その発生と流動に水の関与は小さいので,別の名称がつけられています.崩壊地点と停止地点との間の高度差Hと水平距離Lとの比H/Lを等価摩擦係数とよび,土砂運動に作用した摩擦力の大きさを簡易に表現します.豪雨による通常規模の斜面崩壊ではこの値は1~0.5程度ですが,巨大崩壊による岩屑なだれでは0.1~0.2程度にまで小さくなります,つまり見かけの摩擦抵抗が小さくなり崩壊土砂がより遠くまで到達します.ワスカラン岩屑なだれの等価摩擦係数は0.24,御岳岩屑なだれでは狭い谷間を流れたので0.13でした.
様々な大きさの土砂・礫・岩塊などが混然一体となり,それ自身の重みによって動かされ,流体のような振る舞いをして高速運動するのが土石流や岩屑なだれです.流動性を生み出すのは,粒子同士の衝突による反発力(分散力)です.石礫粒子の密度は2.6程度なので,粒子の間にある水あるいは空気の中を急速に沈降し,粒子同士が接触・衝突します.粒子の運動が十分に大きいと,衝突によってお互いを跳ねのけあい,粒子間に間隙ができます.これによって石礫粒子が水あるいは空気の中でばらばらになって浮いたような状態になり,全体が一体となって流体のような運動を起こします.間隙を満たしているのが泥水であると,粒子に働く浮力が大きくなって流動化が生じやすくなります.分散力をつくるのは,流れを駆動する力の源である斜面(あるいは河床)の傾斜方向への重力成分です.傾斜が大きいほど粒子の運動速度が大きく,したがって分散力も大きくなって流動性を増します.
地震による岩屑なだれでは,間隙に水を含まないので浮力による支えがほとんどなく,運動を始めても粒子間の接触抵抗がすぐに大きくなって減速・停止するはずです.流れを駆動する力は,簡潔に表現すると,流動層の厚さと地表面の勾配との積に比例します.大規模岩屑なだれが谷の中を流下する場合,その厚さは100~200mにも達します.一方,降雨による通常の土石流はこれの1/10程度です.この非常に厚い流動深が大きな分散力を発生させて流動性を大きくすることにかかわっているでしょう.巨大岩屑なだれの示す大きな流動距離は昔から関心をよび,流れの底面に取り込まれた空気層をクッションにして運動する(つまりホーバークラフトの浮遊走行),摩擦熱による地中水の蒸発が関係している,など種々の説が出されています.空気のない月面で巨大崩壊と岩屑流の地形が認められていますが,この場合にはエアクッション説は成り立ちません.
1970年ワスカラン岩屑なだれ
1970年ペルー地震(M7.7)の震央はワスカランから130kmの太平洋でした.ほぼ同じ震央距離にあるウアラスの街(ワスカラン南方)は建物全壊率80%で,震央からかなり離れていても強い震動に見舞われました.この強震動により,ワスカラン山頂直下の急崖が比高1,000mにわたり崩壊しました.山頂部は厚いアイスキャップに覆われているので,崩壊岩屑の中には20%ほどの氷雪が含まれました.約8千万立方mの崩壊物質はモレーン上に落下して滑走し,一旦狭い峡谷内に収容された後扇状に広がり,高距差3.2kmで16km離れたサンタ川に到達し,対岸に80m乗り上げました((図14.2 ワスカラン岩屑なだれの平面図と断面図).このような地形の制約がなければ等価摩擦係数はもっと小さくなったでしょう.運動方向が急に変化したところでは,数トンもの巨岩が1マイルほど投げ飛ばされました.峡谷内に集中したときには流動深が非常に大きくなったので,比高230mの尾根を越えるという溢れ出しが生じ,ユンガイの街を壊滅させました.後に残ったのは数本のヤシの木と教会の壊れた壁でした((写真14.1 ユンガイの災害前後の空中写真).サンタ川近くの街ランラヒルカ(人口2千)も岩屑なだれにより埋まりました.
これは日曜日の午後3時のことで,多くの人が近郊からユンガイのマーケットなどに集まってきていました.このとき一人の地球物理学者がユンガイを車で通りかかり,近くの丘に駆け上がって難を免れました.その体験談が岩屑なだれの状況や速度の情報を与えています.“震動を感じて車を降り,周りを見たら家や橋が壊れていた.揺れが終わっておよそ30秒後,ワスカランから轟音が聞こえてきたので見上げると,北峰の岩と氷が砕かれて雲が立ち上っているのが見えた.即座に200mほど離れた墓地の丘に向かって駆け出した.約45秒後,岩屑なだれはユンガイと谷とを隔てる尾根の上に達していた.その高さは少なくとも80mはあった.丘の頂上についたとき,なだれは丘を襲い,強風と轟音・振動を感じた.数m後ろにいた人は泥流に呑み込まれてしまった.”岩屑なだれが14.5km離れたユンガイに達するのに,音速を考慮にいれて2.5~3分かかったことになるので,その平均時速は290~350kmと計算されます.
8年前の1962年に,同じワスカラン西面急崖が大崩壊して,2百万立方mの岩屑なだれがランラヒルカを壊滅させました.土砂量が少なかったのでユンガイには達しませんでした.周辺域の堆積層はこれまでに何度も1970年のような大岩屑なだれが発生したことを示しています.ワスカラン山頂の地形から,今後もこれが繰返し起こることは確実です.アンデスやヒマラヤのような地震帯にある大起伏山地では,地震による巨大崩壊と岩屑なだれが大きな災害を引き起こす可能性があります.
日本における岩屑なだれ
日本では,1984年の長野県西部地震(M6.8)により木曽・御岳において,巨大崩壊と岩屑なだれが発生しました(写真14.2 木曽御岳の巨大崩壊と岩屑なだれ).御岳山は富士山に次ぐ標高をもつ大きな成層火山です.この巨大崩壊はかつての大きな崩壊の跡地において起こり,それを大きく拡大させました.崩壊物質はかつてのV字谷を埋めた溶岩と火山礫で,その中に挟まる軽石層をすべり面にして厚さ100mほどが滑落しました.3,600万立方mの崩壊土砂は,谷を埋め比高100mの尾根から溢れ出ながら,平均時速80kmで流下し,崩壊源から8km地点で比高90mの尾根を乗り越え,11km地点にまで到達しました.幅狭い谷底内を流下して流動深が厚かったので流速の低下が小さく,等価摩擦係数が0.13という大きな到達距離を示しました.この岩屑なだれによる行方不明者は15人でした.
1792年,雲仙岳の側火山・眉山が土砂量3.4億立方mの山体崩壊を起こしました(図14.3 雲仙岳・眉山の崩壊と津波).眉山は島原市のすぐ背後にある標高819mの溶岩円頂丘です.雲仙火山では半年前から群発地震が続き,その震源はしだいに眉山方向に移動し,5月21日の強い地震の直後,大崩壊が発生しました.噴火を伴ってはいないので,地震が崩壊の主要な誘因になったことは確かです.眉山山麓は有明海の海岸から1kmほどしか離れていないので,大量の土砂は大きな速度で海に突入し,高い津波を発生させました.津波の高さは20km以上離れた対岸の肥後(熊本)で最大23mに達しました.島原の海岸線は土砂堆積により1km近く前進し,沖には多数の小島(九十九島)が出現しました.死者数は島原で約1万人,肥後や天草などでおよそ5千人でした.
世界の津波の記録では,アラスカのリツヤ湾における520mが最大となっています.これは1958年のM7.9の地震により起こった体積3,500万立方mの巨大崩壊の土砂が,フィヨルドの湾に落下して生じたいわば巨大高波です.この到達高は森林が薙ぎ払われて岩盤がむき出しになっていることからよく分かります.植生の縞模様から,かつてこのような津波が何度も起こっていたことが推定されています.
- 主要参考文献
- Cluff L.S. (1971): Peru Earthquake of May 31,1970; Engineering geology observations. Bull. Seism. Soc. Am. 61-3.
- Plafker G. et.al. (1971):Geological aspects of the May 31,1970, Peru Earthquake. Bull. Seism. Soc. Am. 61-3.
- 伯野元彦(1992):被害から学ぶ地震工学.鹿島出版会.
- 国立防災科学技術センター(1985):昭和59年(1984)長野県西部地震災害調査報告.主要災害調査第25号.
- 中村浩之ほか編(2000):地震砂防.古今書院.
客員研究員 水谷武司