防災基礎講座: 災害予測編-自然災害をどのように防ぐか-
5. 高潮
高潮危険海岸
台風は,低い気圧による海水の吸い上げと強風による海岸への海水吹き寄せ,という2つのしくみによって大きな高潮を引き起こします.海水の吹き寄せによる海面上昇量は風速の2乗に比例します.この比例定数は湾の奥行きが長いほど,またその水深が小さいほど,大きくなります.風は台風の中心に向かい左巻きの螺旋状で吹き込むので,進行右側では台風進行速度が加わって,風速がより大きくなります.風が湾の中に真っ直ぐに吹き込むと,斜めに吹く場合に比べ海水の吹き寄せが大きくなります.
したがって,高速度で進行する中心気圧の低い台風が満潮時に,浅くて奥深い湾の西側を湾に平行に進むと,その湾奥で大きな高潮が発生します.台風は日本本土に向かって南方から来襲するので,南に開く湾で危険が大です.(図5.1 高潮危険海岸).1945~1999年の期間における2m以上の高潮の回数は,大阪湾4,伊勢湾2,有明海1,土佐湾1,瀬戸内海2でした.これらの湾の沿岸には人口密集地区や臨海工業地帯があります.とくに, 東京湾,大阪湾,伊勢湾の湾奥には大都市が展開し,しかもゼロメートル地帯が広がっているので,高潮の危険が非常に大きいところです. 1959年の伊勢湾台風の高潮は,日本最大のゼロメートル地帯のある濃尾デルタ沿岸および名古屋臨港域に死者4千人を超える大災害を引き起こしました(図5.2 伊勢湾の形状と高潮).台風が本土上を東向きに進む場合,進行右側の湾では南に開いていなくても潮位が高くなることがあります(図5.3 高松の高潮浸水域と地盤高).
最高潮位と浸水危険域
陸上で観測された最低の気圧は1936年室戸台風による912hPaです.1気圧は1013hPaですから,このときの気圧低下量は101hPaになります.気圧が1hPa下がると海面はほぼ1cm高くなるので,吸上げによる海面上昇量は1mまでです.海水の吹き寄せによる海面の上昇高(m)は,風速(m/s)の2乗にある定数を掛けた大きさです.日本の主要な湾について求められているこの定数の大きさは,ほぼ0.15~0.2です.有明海のように浅くて奥深い形の湾でこの値は大きくなっています.観測された最大風速は,島や岬を除くと,秒速40~50m程度なので,吹き寄せによる海面上昇は最大4~5m程度です.観測された高潮の最大は,1959年伊勢湾台風による名古屋港での3.89m(天文潮を除くと3.45m)です.
したがって高潮浸水危険域は,海に直接面する海岸低地の最高潮位までの標高域であり,ほぼ5mまでの標高範囲とすることができるでしょう(図5.4 山口県・光市の高潮ハザードマップ).ただしこれは奥行きが1~2kmぐらいまでの比較的幅狭い海岸低地についてです.高潮侵入に数時間といった長時間を要する広いデルタでは,侵入限界(危険域)の標高は最高潮位よりも低くなり,デルタ面の勾配が緩やかであるほど低くなります.(図5.5 伊勢湾台風の高潮浸水域).低地内の道路・鉄道の路盤,小河川堤防など進行を妨げる地物があると,侵入限界標高はさらに低下します.高潮が河川を遡上して堤防を破壊し,内陸において氾濫することがあります(図5.6 1948年キティ台風の高潮浸水域).工業用地などの海岸埋立地は高く盛土されていることが多いので,最前面にあっても浸水危険度は低くなっています.
高潮海水の進入速度は海岸部では時速10km以上と非常に速いものの,昇り勾配の陸地を奥に向けて進むにつれ急速に低下します.したがって広いデルタ内では進入に数時間以上といった長い時間を要します.一方この間に,台風が遠ざかることによる気圧上昇と風速低下により,海面は平常潮位に向かって低下していきます.一般に最高潮位の後 5~6時間程度で,平常の潮位に戻ります.この潮位低下は低地内に流入した海水を引き戻すので,高潮最高潮位までの標高の範囲が全面浸水することにはなりません(図5.7 高潮の侵入限界標高).この現象を数値計算により再現して,広いデルタ平野における高潮侵入域を判定することができます.平野面の勾配がおよそ1/500以下になると,到達限界標高は最高潮位よりも小さくなります(図5.8 高潮の陸地内流入の数値計算).
高潮ピーク時の海面上昇は急速であるので,大きな水深と流速を持って海岸から陸地内に高潮は流入します.海岸堤防が破壊された場合は,その破堤口から激しく流れ込みます.したがって高潮は沿岸部において非常に大きな流体力を示すので,被害は沿岸地区において集中発生します.避難用の高地が少ない低平なデルタにおいて避難対応が遅れると,大きな人的被害が生じます.(図5.9 高潮被害と地形).
伊勢湾台風の高潮により大きな被害が生じた名古屋市臨港域の65平方kmは災害危険区域指定されて,危険域であることを明示しています(図5.10 名古屋市の災害危険区域).このような広域を危険区域に指定できたのは大災害があったからこそで,高潮の高危険域は東京や大阪など他地域にも広く存在します.
客員研究員 水谷武司