防災基礎講座:基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
図2.3 明治末期における輪中の分布
明治末期の木曽三川分流工事直前の輪中の分布および主要輪中の名称を示したものです.輪中の総数は48で,そのうちの41は木曽川の右岸側にあります.木曽川左岸には連続する堤防(御囲堤)がつくられています.1959年には台風7号により多芸輪中が浸水しました.1952年にはダイナ台風により高須輪中が浸水しました.×印は破堤箇所です.浸水域は輪中堤ではっきりと区画され,地区ごとの明暗が際立ちます.輪中が最も発達したのは江戸末期から明治初期にかけての頃で,約80を数えましたが,統合によりその後は少なくなっています.輪中堤の破堤を伴う洪水は,2年に1回程度の頻度で発生していましたが,これ以外に内水の湛水は常時起こっています.排水路・排水施設は必須のもので,輪形の堤防と共に輪中の中心的構成要素です.
客員研究員 水谷武司