2009年フィリピン台風災害調査速報

このページでは、2009年9月26日から10月初旬にかけてフィリピン、ルソン島を襲った台風オンドイ及びペペンの被害調査報告を掲載しています。本調査は、防災研究フォーラム『突発災害調査』として行われたものです。

10.マニラ首都圏の水害

2.水害の地域性

(1)被害概要

2009年9月25日から26日にかけ、台風オンドイがマニラ都市圏に記録的な豪雨をもたらした。その24時間雨量の記録は、ケソン市のScience Gardenで455.0 mm、Port Areaで 258.5 mm (Sept. 26)、隣のリザールRizal 州Tanayで331.8 mm (Sept. 26)というものであった。PAGASA(2009)によると豪雨の規模は、Science Gardenの455mmは24時間雨量で100年確率降水量、12時間降水量は150年、11~12時の時間雨量92mmは5-10年に匹敵する豪雨であった(PAGASA,2009)。
この豪雨は、首都圏を流れるマリキナ川やパシグ川の外水氾濫や、内水氾濫による水害を発生させた。被災域は首都圏全域に及び、被災者数は872,097人、死者241人、負傷者394人、家屋被害は65,521棟(全壊12,563棟、一部損壊52,958棟)に達した。被害額は(インフラのみ、農業被害なし)は P570,182,587(NDCC,2009a)であった。都市中心部では、エドサ通りなどの主要幹線道路が冠水、寸断され、交通マヒが発生、また、マニラ空港では国内・国際線が欠航(マニラ新聞9月27日)するなどの被害が発生した。
この水害では、災害後の不健康な生活環境がLiptospirosis感染症を爆発的に発生させた。感染者総数は2,408人、死者は249人に達した。そして、この感染症の大部分はマニラ首都圏で発生し、10月1日から11月19日までの感染者数は2,299人と総数の9.5割、死者数は総数の7割の178人に達した(NDCC,2009a)。そして、マニラ首都圏の人的被害は死者241人であったが、その74%はLiptospirosis感染症によるものであった。マニラ首都圏で感染者が多いのは、ケソン市、マリキナ市、マニラ市、パラァニャーケ市、パッシグ市、マラボン市で、感染者の集中するマリキナ市トゥマナ、マランダイ、コンセプションの3バランガイが流行地域に指定された(10月17日付けマニラ新聞)。
感染症の発生には排水不良地域の存在だけではなく、同時に流域内の環境問題も関わっている。UNEP/OCHAは、生活環境悪化の要因として、マリキナ川の洪水氾濫により、被災地域にある中小の工場からの汚染物質が氾濫水に混入したこと、その大部分がラグナ湖へと流入したことや、内水氾濫による湛水により、被災地域では、清潔な飲料水や生活用水が不足し、この汚染された水を使用するとともに、子供達が汚染された氾濫水の中で遊んだことなど、不健康な生活環境が病気の爆発的な発生の要因となったとしている(NDCC,2009a)。

(2)水害の地域性

このマニラ首都圏で発生した水害の様相は一様ではなく、氾濫原の土地環境や水文環境等により、異なる特徴を示した。そこで、表2に、マニラ首都圏の洪水氾濫と被害とを、地形区分毎に整理した。この時、その地形区分に属する行政単位もまとめて整理した。外水氾濫が激しい流域でも、内水氾濫は発生していたであろうが、被害をもたらした主たる氾濫現象で整理した。また、行政区の区分についても、複数の地形区分にまたがる場合もあるが、主たる地形区分で分けた。

表2 マニラ首都圏の水害における洪水氾濫と被害の特徴

表2 マニラ首都圏の水害における洪水氾濫と被害の特徴

ケソン市の死者は、発生場所により2つの地形区分に分けた。*湛水期間はJICA(2009)、マニラ新聞記事等による
*被害の統計はNDCC Report No.42から作成

その結果、マニラ首都圏の水害は、被害を増大させた要因で「主に外水氾濫による地域」と、「主に内水氾濫による地域」とに区分できた。前者に区分できるのがマリキナ川氾濫原、サンファン川沿いの谷底平野である。そして、後者にはマニラ湾岸沿いの海岸低地とラグナ湖岸平野が入る。後者はさらに、湛水期間が短い海岸低地と、湛水が2週間以上に及ぶラグナ湖岸平野とに分けられた。

外水氾濫を主としたマリキナ川氾濫原では、河道流下能力の2倍を大きく越える洪水が発生し、しかも河川の水位は3時間に約3mという速度で急上昇するなど、急激な水位上昇を伴う浸水深の大きい激しい洪水氾濫に氾濫原全体が襲われた。7mにも及ぶ浸水深を記録した。なお、湛水期間は短かった。ここでは、多数の被災者と、マニラ首都圏の死者の半数にあたる121人が亡くなるなど、大規模な被害が発生した。なお、氾濫原の大部分はマリキナ市であるが、上流の一部がケソン市となっている。被災者はマリキナ市だけで約18万人に達した。また、流域の中小工場からの汚染物質の流出による環境被害が発生したり、感染症が多発し、危険地域に指定された。 外水氾濫を主としたサンファン川沿いの谷底平野で発生したのは、標高95mから3mまで流れ下る急流中小河川の外水氾濫である。流域内のケソン市Science Gardenで時間雨量92mm、24時間雨量455.0 mmが観測されたように、流域は激しい豪雨に見舞われた。流域面積はマリキナ川の約1/5と小さいので、マリキナ川に比べ洪水の出足が早かったことが予想される。また、谷底平野の氾濫域は限られるため、一般的に浸水深が大きく激しい洪水が発生しやすい。そして、マリキナ氾濫原に次ぐ大きな人的被害となり、111人が亡くなった。この流域に入るケソン市、サンファン市、マンダルヨン市の被災者は13.5万人に達した。

内水氾濫を主とし、長期間湛水したラグナ湖岸平野は、地盤高数メートルの低湿な地域で、ラグナ湖水位上昇の影響を受け、浸水深も大きく、湖岸に近い地域では浸水が1ヶ月以上に及んだ。マリキナ氾濫原のような洪水氾濫の激しさはないが、浸水深も背丈に達し、湛水期間が長い洪水氾濫により、被災者数は、首都圏の中でも最も多く、被災者全体の46%にあたる40万人に達した。しかし、死者数は26人と、マリキナ氾濫原の約1/5であった。 内水氾濫を主としたマニラ湾沿いの海岸低地は、地盤高3m以下の低平で水捌けの悪い土地環境をする。ここでは、パシグ川は一部で氾濫したが、低地の内水を排水するポンプは稼働を続けることができた。しかし、低地では豪雨を捌けきれず内水氾濫が発生した。その湛水継続時間は半日~数日程度と短かった。この結果、海岸低地の被災者数はマニラ首都圏全体の約5%と少なく、死者数は19人に押さえられた。ここには、首都圏中心部のマニラ市、マカティ市、パサイ市などが入る。

都市中心部を流れるパシグ川が氾濫を免れたのは、上流マリキナ川が氾濫したことや、洪水がマンガハン放水路やナピンダン水路からラグナ湖へと分流され、パシッグ川の洪水流量が河道流下能力(500-600 m3/sec)ぎりぎりの600m3/secに押さえられたためであった。一方、排水能力が2-5年確率降雨まで低下した都市排水路では、台風オンドイによる豪雨から都市を守ることはできなかった。

(3)水害の様相:氾濫と被害

それぞれの氾濫原の水害の様相を、もう少し詳細に述べる。

1)外水氾濫を主としたマリキナ川氾濫原の水害
マリキナ川の洪水は、1,000級のシェラマドレ山脈から一気に標高30-5mのマリキナ川氾濫原へと流れ下り、河川の水位を急上昇させた。マリキナ橋Marikina Bridge(Sto Nino)地点の水位は、26日午前10時から1時間で0.8m、2時間で1.8m、3時間で2.9m、4時間で3.7m、5時間で4.3m、6時間で4.6mと、3時間で3m近く急上昇している(P.B.Gatan,2009)。このSt.Nino地点では、河道流下能力1,500-1,800 m3/secの2倍を大きく越える最大洪水流量4,150 m3/secが記録されている。河道から溢れた洪水は、氾濫原全体に激しい洪水氾濫を起こし、7mにも達する浸水深を記録した。図5はNAMRIA作成の浸水域図、図6はGoogleの最大浸水深図であるが、両者を合わせてみると、3-6mの浸水深あるいは1階以上の浸水深の地区が川沿いに分布している様子が分かる。このように、急激な水位上昇を伴う、浸水深の大きい激しい洪水氾濫のため、住民は逃げ遅れたり、水の流れが速く強すぎて避難が難しい状況があったと推測できる。

図5マリキナ氾濫原の浸水深図(NAMRIA (2009) を編集)

図5マリキナ氾濫原の浸水深図(NAMRIA (2009) を編集)

特に激しい甚大な被害となったのが、高級住宅地プロビデント地区(標高8m)である。ここは、河川の蛇行部の内側(マリキナ川左岸)に位置し、東、南、西の三方を河川に取り囲まれ、北側が上流側低地に向かって開いている。また、北東は高い中央台地となっている。ここでは、堤防(高さ7m)が10m幅で決壊したり(10月11日マニラ新聞)、コンクリート堤防の上部が決壊したりし、あるいはコンクリート製の堤防(写真5)を越流したりした氾濫流に襲われた。写真6は浸水が電線まで達し、ゴミがぶら下がっている様子を示しているように、2階が水没するような浸水深となっていた。この地区では、10月1日までに65人の遺体が見つかった。家屋の中での遺体発見も多かったが、これは逃げ遅れたり、水の流れが速く強すぎて避難できなかったりしたと考えらている。そして、一戸建ての家は孤島になるとともに、頑丈な家が屋根等への脱出を困難にしたことも考えられる。また、自家用車で避難し、車の中で亡くなった人もいた(マニラ新聞10月2日付け)。水が引いた直後(写真7,8)には、泥水で覆われた道路に、被災した車が取り残され、魚や犬や鶏の死骸が放置され異臭が漂っていた(9月30日付けマニラ新聞)。』

図6 Google最大浸水深図:マリキナ川氾濫原(Google,2009)

図6 Google最大浸水深図:マリキナ川氾濫原(Google,2009)

そして、川沿いに庶民の家が密集しているマランダイ地区(バンガロイ)も、主要道路から一段低く、泥水が屋根まで達した。ここでは、住民は濁流の中、隣家とは密接しているため、廃材を渡して避難をするなど助けあった。また、他の住民も窓を割ったり、トタン屋根を壊すなどして家屋から脱出したり、屋根づたいに高い方へ避難したりした。ここでの死者は数人と、プロビデント地区での死者の多さを対照的であった(マニラ新聞10月2日)。

 プロビデント地区下流の右岸側Riverbanks Mall付近でも、フェリー乗り場やショッピングセンターの一階が水没し、また、対岸の大型デパートも一階が水没する被害を受けた。この地域のすぐ下流にあるMarcos Bridgeでは、橋脚のすぐ下まで水位があがったとのことであった。災害から2ヶ月後に訪れた時には、浸水したショッピングモールでは、閉店した店も見受けられた。

 マリキナ川は本川沿いだけではなく、支川でも激しい洪水に襲われた。9月28日付けABS-CBN Newsは次のように報道している。氾濫原上流部に位置するケソン市 の bagong silangan地区(バランガイ)の東部では、9月26日土曜日の午後、増水した小河川よる洪水氾濫に襲われ少なくとも80名が流され、27名が亡くなった。この死者数は、1つの地区(バランガイ)では最大となった。なお、この洪水では、30名もの人を泳いで救出した後、亡くなった青年には、栄誉賞が贈られた。

写真5 プロビデント地区の堤防

写真5 プロビデント地区の堤防

写真6 プロビデント地区

写真6 プロビデント地区
電線にゴミか架かっている(PNRC-Rezal提供)

 また、マリキナ川氾濫原では、この洪水により環境汚染が発生したことが報告されている。例えば、激しい洪水の勢いが、マリキナ市の製紙工場の燃料タンクを傾け、油約10万リットルが流出した(9月29日付けマニラ新聞)。また、前述したように、UNEP/OCHAの環境被害のrapid assessmentは、マリキナ川の洪水氾濫により、被災地域にある中小の工場からの汚染物質が氾濫水に混入したことを指摘している。この環境汚染が排水不良地域の生活環境を悪化させ、マリキナ市トゥマナ、マランダイ、コンセプションの3地区(バランガイ)では、災害後には感染症が多発し、流行地域に指定された(10月17日付けマニラ新聞)。

写真7 災害直後のプロビデント地区(PNRC-Rezal提供)

写真7 災害直後のプロビデント地区1(PNRC-Rezal提供)

写真8(右) 災害直後のプロビデント地区(PNRC-Rezal提供)

写真8 災害直後のプロビデント地区2(PNRC-Rezal提供)

2)外水氾濫を主としたサンファン川沿いの谷底平野の水害
パシグ川右支川サンファン川沿いの谷底平野では外水氾濫を主とする水害が発生した。サンファン川は、図2に示すように、南をパシグ川、東をマリキナ川、北と西はマニラ首都圏北部でマニラ湾に注ぐMalabon Riverで境された東西約10km、南北約10kmの流域をもつ中小河川である。流域の最高標高は95m、標高2mの合流点までの距離は約15km、平均勾配が約6/1000という急勾配の河川で、複数の支川がある。流域は開発が進み、斜面には道路網が展開している都市の河川である。河道の計画規模は1/30で600m3/secであるが、現況の河道能力については分からない。谷底平野は谷幅が狭いため、氾濫流が集中し、浸水深が大きくなりやすい条件をもつ。

このサンファン川流域内のケソン市Science Gardenでは24時間雨量が455mm、11~12時の時間雨量が92mmであった。この豪雨は、河道の流下能力を越える洪水を発生させ、サンファン川が溢れた。洪水流出量や水位データは入手していないが、流域の開発が進んだ急勾配の中小河川であることから、急激な水位の上昇を伴う激しい洪水氾濫が発生したことが想像できる。

図7 Google最大浸水深図:サンファン川流域(Google,2009)

図7 Google最大浸水深図:サンファン川流域(Google,2009)

図7のGoogleの最大浸水深図にみられるように、浸水域は流域の上流まで達している。その浸水深は1階以上の浸水深を表す「気球の印」が本川沿いに多く見られ、上流域でも腰~背丈の浸水深となっていることがわかる。そして、上流域のCuliat、Roman Magsay、Apolonio Samson、Pnyanan、Silangan地区(バランガイ)などでも、死者が発生している(NDCC,2009a)ことから、流域全体で洪水氾濫が発生したことが分かる。このように、大きな短時間豪雨により発生した浸水深の大きい激しい洪水が谷底平野で発生し、リキナ川氾濫原の次に多い死者数111人が発生した。また、被災者数はケソン市、サンファン市、マンダルヨン市(図1参照)合わせて13.5万人に達した。

写真9 サンファン川のコンクリート堤防

写真9 サンファン川のコンクリート堤防

写真9はサンファン川最下流部マニラ市Landcom Village における堤防の様子を示す。ここでは、このコンクリート堤防の越流により浸水被害を受け、一階が水没するような浸水深となった。なお、新聞報道によると、場所は特定できないが、ケソン市の橋の下で生活していた約60家族(約420人)が、急激な増水により,家財を持ち出す時間もなく家が流されている(10月1日付けマニラ新聞)。

3) 内水氾濫を主とし、長期間湛水したラグナ湖岸平野の水害
マニラ首都圏で最も長期間湛水していたのは、ラグナ湖岸平野である。この地域は、マリキナ川氾濫原に続く標高数メートルの平野で、湖岸低地は海抜2m以下の地盤高しかなく、勾配も緩い水捌けが悪い地域である。そして、ラグナ湖の水位上昇の影響を受け、長い湛水期間が予想される地域でもある。このような水害に対して脆弱な地域であり、洪水ハザードマップ(図4)でも、2年~10年確率洪水(黄色)でも広い地域が浸水する可能性があり、50~100年確率の洪水になると平野全体が浸水する可能性があることが示されている。実際、台風オンドイによる洪水氾濫は,後者の予想を現実のものとしたのである。

ラグナ湖の水位は9月~11月に最大となり、5月か6月に最低水位(平均1.7m)となる。台風オンドイ来襲前は、ラグナ湖の水位は上昇期にあたり約13.0mとなっていた。そして、台風オンドイがラグナ湖流域にもたらした豪雨やマリキナ川からの洪水流入により、26日9時に13.0mであった湖水位は、4時間後の13時には+0.5m、24時間後の27日9時までには1m上昇した(A. Bongco, 2009)。そして、最大水位13.84mを記録した。すなわち、海抜3.32mまで水位が上昇したのである。なお、既往最大の湖水位となった1919年9月の14.62m、2位の1972年8月の14.03mには達しなかった。

上昇した湖水位の低下には数ヶ月要した。豪雨から6日後の10月2日に、環境天然資源省ラグナ湖開発局は湖水位の低下が、パシグ川へ通じる水路の機能低下で豪雨前の水準にもどるには数ヶ月かかると発表した(10月3日付けマニラ新聞)。洪水発生から11日が経過した10月6日も大人の首くらいまで水位がある地区もあり、ラグナ湖周辺は家屋ごと水浸し状態(10月7日)が続いていた(マニラ新聞)。また、我々調査チームがラグナ湖畔に行った11月30日は、災害から2ヶ月が過ぎていたが、湖岸のデルタに開発されたタギク市ベイブリーズ地区(写真10、11)では、道路上でも膝位まで浸水位があり、車は使えず、ボートが住民の重要な足となっていた。このように、湖水の上昇が長期間に及んだ影響を受け、湖水位より地盤高が低い地域では長期間の湛水となった。 浸水域は湖岸平野全体に広がっていることを図8のNAMRIAによる浸水深図は示している。また、図9のGoogleの最大浸水深図は、腰~首位の浸水深があったと伝えている。また、JICA(2009)による調査では、湖岸沿いでは1.5m以上の浸水深となった地域もあるが、広い地域で浸水深は0.5~1.5mであったこと、湛水期間は、湖岸沿いでは1ヶ月以上続いたが、殆どは2週間~1ヶ月の間であったとしている。なお、洪水対策で述べたように、湖岸低地を水害から守るための堤防(道路兼用)9.5kmと排水機場が整備されている。この施設は、低湿なこの地域の湛水期間を短縮したとされる(JICA,2009)。

写真10 ラグナ湖岸住宅地の浸水状況1

写真10 ラグナ湖岸住宅地の浸水状況1
(タギグ市ベイブリーズ地区11月30日撮影)

写真11 ラグナ湖岸浸水状況2

写真11 ラグナ湖岸浸水状況2
(タギグ市ベイブリーズ地区11月30日撮影)

内水氾濫を主な浸水原因としたマニラ湾岸沿いの海岸低地の洪水氾濫に比べると、ラグナ湖岸平野の氾濫は浸水深が大きく、湛水期間も長かった。そして、その被災者が、パシグ市で12.7万人、タギグ市で13万人、ぺテオス市で3.2万人、モンテンルパ市で11万人と、マニラ首都圏の被災者の46%にあたる約40万人と多かった。 このラグナ湖周辺の被災者には、不法占拠の住民が多かったことが推測できる。マニラ首都圏の4市を含めて、ラグナ湖岸全体の被災域は29市町に達し、住民約100万人が被害を受けた。その半数は沿岸部や排水路沿いの違法占拠住宅の住民であったとの報告がある。マニラ首都圏だけの不法占拠者の数字は手元にないが、マニラ首都圏においても同じような傾向があることが推測される。

死者についてみると、パシグ市で23人、モンテンルパ市で3人、計26人の死者が発生した。これはマニラ首都圏の全死者数の約11%に当たる。被災者に対する死者数の割合の高いマリキナ川氾濫原やサンファン川沿いの谷底平野の激しい氾濫とは異なり、低平な平野での氾濫では、被災者の多さに対して相対的に人的被害が少なかった。この死者には感染症による死者7人も含まれる。

なお、マンガハン放水路東側ロザリオ付近に一階が水没するような浸水深が大きい地域があることが、図8、9から分かる。ラグナ湖岸平野の浸水原因の主なものは豪雨やラグナ湖の水位上昇による内水氾濫と考えられるが、この浸水原因は少し異なる。マンガハン放水路は越流しなかったとの話を聞いた。とすれば、丘陵地から流れ下る河川の洪水流出がマンガハン放水路で排水されにくいことや、マリキナ川の激しい外水氾濫流がながれ込み、浸水深が大きくなったと考えられる。この地域の浸水について新聞は、パシグ市ロザリオでは、26日に天井迄浸水し天窓部分に避難し、28日には水が引きはじめ階下に降りたとの報道している(9月29日マニラ新聞)。マンガハン放水路の東側の排水改善のための治水事業は、現在計画されているところである。

図8 ラグナ湖岸平野浸水深図(NAMRIA (2009) を編集)

図8 ラグナ湖岸平野浸水深図(NAMRIA (2009) を編集)

図9 Google最大浸水深図:ラグナ湖岸平野(Google,2009)

図9 Google最大浸水深図:ラグナ湖岸平野(Google,2009)

4) 内水氾濫を主としたマニラ湾沿いの海岸低地の水害
マニラ首都圏中心部の海岸低地は海抜3m以下の低平な地域で、70%(52km2)は内水の排除をポンプ排水に依存し、地域の排水施設は主要排水機場15ヶ所、排水路74km、暗渠35km、管渠約400kmが整備されている(JICA、2005)。この中心部の海岸低地をパシグ川が流れる。このパシグ川の最大洪水流量は、現在の道流下能力ぎりぎりの600m3/secであった。これは、マリキナ川が氾濫したことや、マリキナ川の洪水をマンガハン放水路から3,000m3/sec、ナピンダン水路から150m3/sec、ラグナ湖へと分流し、パシグ川へと流れ下る洪水流量を減少させたためである(LLDA,2009)。そのため、パシグ川の外水氾濫は一部に留まるとともに、海岸低地の内水を、パシグ川へと排水する排水ポンプは停止されることはなかった(MMDA、2009)。

都市圏中央部で9月26日11~12時に記録されたScience Garden の時間雨量 92mmは、5-10年確率の豪雨(PAGASA,2009)で、10年確率規模の雨水を排水できるように計画されていた都市の排水システムの能力を上回るものでは無かった。しかし、排水機場の老朽化、不法投棄による大量の固形廃棄物や土砂の堆積、水路内への不法占拠建物の建設などにより、排水システムの能力は2~5年確率降雨規模まで低下していたし(JICA,2005)、前述したように流域の開発とともに流出量が増大していた。そして、内水が排除できずに内水氾濫が発生した。 このように、パシグ川の外水氾濫を免れ、内水氾濫により被災した海岸低地の被災者数は首都圏の被災者全体の約5%、46,302人と他の地域に比べ、少なく押さえることができた。死者数は16人と、これも他の氾濫原に比べ,少なかった。しかし、この内水氾濫により、主要道路の冠水、住宅の床上浸水、停電などの被害が発生し、市民生活に大きな打撃を与えた(マニラ新聞)。

都市圏中央部の浸水深の分布をみる。図10の地形図から沿岸部に微高地があり、その背後の標高2.5m以下の地盤高の低い部分に排水河川が流れている様子が分かる。この排水河川が流れる水捌けの悪い部分は浸水被害が大きくなりやすい場所でもある。ここでは、繰り返し浸水被害が発生している。例えば、中心地域の約半分が浸水した1999年水害時の浸水深(図11)でも、深い浸水域がみられた(JICA,2005)し、図12でしめす今回の最大浸水深図(Google,2009)でも、腰~背丈位の浸水深を示す情報が集中している。写真12,13 はマカティ市の内水氾濫の状況である。

図10 マニラ首都圏中心部が立地する海岸低地部の地形図(JICA,2004)

図10 マニラ首都圏中心部が立地する海岸低地部の地形図(JICA,2004)

図11 1999年マニラ首都圏中心部水害の浸水深(JICA、2005)

図11 1999年マニラ首都圏中心部水害の浸水深(JICA、2005)

図12 Google最大浸水深図:マニラ湾岸低地(Google,2009)

図12 Google最大浸水深図:マニラ湾岸低地(Google,2009)

写真12 マカティ市の内水氾濫状況(志賀和民氏撮影)

写真12 マカティ市の内水氾濫状況(志賀和民氏撮影)

写真13 マカティ市の内水氾濫状況2(志賀和民氏撮影)

写真13 マカティ市の内水氾濫状況2(志賀和民氏撮影)

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