2009年フィリピン台風災害調査速報
このページでは、2009年9月26日から10月初旬にかけてフィリピン、ルソン島を襲った台風オンドイ及びペペンの被害調査報告を掲載しています。本調査は、防災研究フォーラム『突発災害調査』として行われたものです。
7.フィリピンの社会特性と自然災害
この章では、防災、災害復興と「コミュニティの力」に注目したい。
オンドイとペペンの台風は、都市化の進んだマニラおよびバギオを通過した。都市化された場所では、人口密度が加速するなかで階層化を招き、住民の生活空間を分節化させた。なかでも「ゲーディッド・コミュニティ」の代表である分譲地では、セキュリティとプライバシーを確保するために、外部から自身を守ることに成功したが、住民を高い塀や門扉で分断するにいたったのである。分譲地の所有者組織や委員会が活発に活動していなければ、住民同士の顔の見えるつきあい、支え合い、拠り所などの「コミュニティ」と言えるものも皆無に等しいといってもよい。こうした空間で彼らが頼りとするのは、家族や親族、近しい友人である。それゆえ、災害に備えて避難をする場合、ほとんど交流がなく、壁や門扉で閉ざされた隣家の住人に声をかけるかどうか、隣人と助け合うかどうかは想像しがたい。
なお話が多少逸れるが、高級住宅であればあるほど、侵入者を警戒して建物のあらゆる窓に鉄格子が着けられる傾向にあるが、火災や浸水があったとき、逆に逃げる手立てを失わせることにつながる(数年前にホテルで火災が起きた時にも逃げ遅れて多くの犠牲が出た)1)。今回の台風で多数の犠牲者を出したプロビデント地区でも同様のことがいえるのかどうかは今後の調査結果を待ちたい。
次に災害復興と「コミュニティの力」を、リセツルメントの観点からみていく。リセツルメントは、再定住地を指す。フィリピン政府は戦後の都市化の過剰な進展とともに、スラム対策をおこなってきた。1960年代からは、マニラの河川堤防やごみ捨て場などの危険区域と公・私有地に不法に居住する人々を撤去させるため、郊外に4つの再定住地を設立し、そこに彼らを移転させた。ところが、その後、およそ3分の1が前住地に戻り、被災するリスクの高い土地で再び生活を営むようになった(Starke 1996)2)。この背景には、再定住地のインフラ未整備や就業機会の欠乏のほか、前住地の住民関係を等閑視して機械的に移転先の土地を割り当てた行政側の配慮不足などによる。とはいえ、このことは、スラムや不法占拠居住地域において、コミュニティと言ってもよい、一定のまとまりが成立していたことを示しているといえよう。同様の点は、火山の噴火や台風による浸水・地滑りなどの自然災害の復興に関しても指摘できる。ある土地から住民を移転させたとしても、移動先に経済的な生活を保障するもの以前に、前住地よりも愛着心をもたらすような社会生活がなければ、人々は戻ることを選択するのである(Gaillard 2008)3)。
総じて、コミュニティの力としては、社会基盤の脆弱な居住地において強く、その反対の居住地においては弱いといった図式が描けるが、これにさまざまな変数が加わることによって、その強弱は推移する。
この章の参考文献
1)At Least 75 Dead in Hotel Fire: Lack of Fire Exits, Unmovable Security Bars Hindered Rescue Efforts Aug. 18, 2001. ABC News. (http://abcnews.go.com/International/story?id=80614)
2)Starke, Kevin. 1996. Leaving the Slums: The Challenge of Relocating the Urban Poor. Pulso (Pagsusuri Ukol sa Lipunan at Simbahan) Monograph No. 16. Institute on Church and Social Issues. Manila: Philippines.
3)Gaillard, Jean-Christophe. 2008. "Alternative paradigms of volcanic risk perception: The case of Mt. Pinatubo in the Philippines", Journal of Volcanology and Geothermal Research, 172 (3-4): 315-328.