防災基礎講座: 基礎知識編-自然災害をどのように防ぐか-
14.冷害
冷害の自然地理条件
気温や雨量などが平年値から大きく偏ってかなりの期間継続した場合、その地の平年の状態に合わせて営まれている生活や生産活動が影響を受け,ときに災害にまで発展します。この最も著しいものは、主食作物生育期における低温・日照不足および少雨による災害です.雨不足による干ばつは世界的に起こる現象です.これに対し冷夏による災害は,自然地理的条件および農耕様式ゆえに,ユーラシア大陸東岸域,とくに島国日本において地球上で最も激しく現われるので,昔から日本とりわけ東北地方は,寒い夏に苦しめられてきました.
緯度が30~50°の地帯は,北方の冷たい極気団と南方の熱い亜熱帯気団の境界である寒帯前線帯に当たります.気団の境界には強い偏西風(ジェット気流)が吹いています.太陽高度の変化により前線帯は全体として夏に北上し冬には南下しますが,偏西風帯の蛇行によってもその位置は場所ごとに異なった南北振動を起こします
気象現象は大気圏最下層の対流圏で起こりますが,この厚さは中緯度において12~14km程度で,地球の大きさ(赤道から極までが1万km)からみると極めて薄い層です.ユーラシア大陸中央部には高さが対流圏の半分近くを占めるヒマラヤ・チベットの広い高山岳地帯があります.夏の初めに亜熱帯のジェット気流はヒマラヤのところまで北上して流れが大きく乱され,チベット高原の北側に大きくジャンプします.風下にあたる東岸域(極東域)では,ジェット気流は大きな波動を起こし,また,山岳の南と北を回りこむ流れが合流して強くなります(図14.1).
夏の日射によって高温になる大陸(とくにチベット高原)と低温のオホーツク海や北部太平洋との間には,その温度差のために顕著な気団の境界がつくられることも,東岸域でジェット気流を強くしその方向を南北に向ける働きをします.北米大陸に比べると陸地や山岳の規模は大きいので,乱れの規模が大きくなります.南半球にはこの緯度帯に広い陸地はありません.ユーラシア東岸域は地球上で偏西風帯の波動が最も著しい場所なのです.
偏西風が大きく波動して極気団が南へ張り出し,ショートカットにより切り離されブロックされた状態になって持続すると,低温が続きます(図14.2).停滞した気団の境界は前線帯となり雨天と日照不足が続きます.日本は島国であり,流入する気流はすべて海を渡ってくるので下層に多量の水分を含みます.これが霧をつくり雨を多くして,日射を妨げ低温をもたらします.
農耕様式
ユーラシア大陸東岸域はモンスーン気候下にあり,夏には南東からの気流に支配されてかなり高緯度まで暑いのが通常です.冷夏は北日本で10年に1回程度の頻度です.降水量もまた多く,同緯度の他地域に比べ2~3倍あります.暑い夏の年が多く水が豊富という自然環境条件を生かして,人口支持力の大きいイネが主食穀物として栽培されています.イネは熱帯・亜熱帯が原産地で,生育に高い気温が必要です.イネ・小麦・トウモロコシが世界の3大主要穀物ですが,イネは小麦・トウモロコシに比べ2倍ほどの温度積算量を必要とします.活発な光合成活動を行って多量の生産物を貯蔵する穀物にとって,日照不足は大きな障害ですが,とくにイネにとっては夏の低温・日照不足の影響は厳しくなります.
現在日本の水稲作の中心は,東北地方の日本海側から北陸にかけての地域にあります.ここは寒冷積雪地帯にあたるので一見奇異に感じられますが,実は寒冷地の自然環境は,冷害と病虫害が回避されるならば,稲作にとって有利なのです.これは,緯度が高いので日照時間が長い,気温の日較差が大きい,太平洋側に比べ夏季に晴天の日が多く気温も高い,呼吸作用による光合成物質の消費量が低温のため少ない(穀実としての貯蔵が多い),融雪により多量の水が継続的に供給される,などの理由によるものです.現在,単位面積あたりの収量の最も多いのは,東北の日本海側の内陸盆地です.これには苗代改良によって早植えが可能になり栽培期間が短縮されたことが貢献しました.しかし,冷夏が克服されたわけではありません.
冷夏の気圧配置
日本に冷夏をもたらす気圧配置には,北東気流型と北西気流型(寒冷セル型)とがあります.北東気流型はやませ型と言われるもので,夏季になっても北方の気団であるオホーツク海高気圧が強くて日本付近にまで張り出し,北日本の太平洋側に冷湿な北東気流(やませ)を送り込むというものです(図14.3). この気流は寒流である親潮の上を吹いてくる間に下層が冷却されて,霧が発生します.これが北海道および東北の太平洋岸に吹き込んで低温と日照不足をもたらします.やませの気流は,下層ほど気温が低いという安定成層状態のために,いわば上から押さえられて,高さが500m~1500mと低いので,気流の動きは山地地形の影響を大きく受けます.したがって,脊梁山脈を越えた西側では,フェーン現象が起こることもあって,あまり低温にはなりません.やませ型の気圧配置は,梅雨時にはほとんど毎年出現しています.これが持続すれば長梅雨となります.
北西気流型は,夏季になっても大陸が低圧部とならずにシベリア高気圧が残り,寒冷な北西気流が寒冷セルとなって日本付近に流れ出すものです.気圧配置は西高東低の冬型のようになります.この場合は沿岸域に限定されず,北日本あるいは日本の全域が低温になる可能性があります.南の気団である太平洋高気圧の張り出しが弱いと,相対的に北の気団が優勢になって冷気が南下します.エルニーニョの時には太平洋高気圧の中心が東に偏るので,日本では冷夏になりがちです.
冷夏による災害
東北地方では7~8月の平均気温がおよそ22℃(平年との差が約-1℃)を下回ると,水稲に被害が現れてきます.水稲にとって22℃~26℃が適温で,24℃付近で収量が最大です.生育期の低温は成長が遅れるという遅延型冷害を,結実期の低温は実が結ばないという障害型冷害を引き起こします.とくに減数分裂期(出穂前5~15日前)の低温は大きな影響を与えます.夏を通じて低温が続くと遅延型と障害型の冷害が重なって大凶作となります.前線が日本付近に停滞すると長雨と日照不足によって,更にそれによる病虫害の発生が加わり,減収は一層大きくなります.収量の多い晩生種は,栽培期間が長いので冷害を受けやすい品種です.
1993年には北東気流型と北西気流型とが重なって,8月になっても全国的に低温・日照不足が続き,気象庁は南西諸島を除き梅雨明け日を確定することができませんでした.6~8月の平均気温の平年値との差は東北太平洋岸で-3.0℃,西日本太平洋岸でも-1.0℃でした.また,長雨が続き,降水量は西南日本では平年の1.5倍を超え,日照時間は平年の50%程度でした.これにより水稲の作況指数は全国平均で74,東北三陸沿岸では10以下という大凶作となりました(図14.4).農作物の被害額は1兆円(内水陸稲81%,地域別では東北51%,北海道23%)に達しました.このため米200万トン(年消費量の2割)が緊急輸入されました.なお,奄美地方以南では通常の暑い夏でした.1980年にも大冷害が発生し全国の作況指数は86,農作物被害金額は7,000億円でした.これはやませ型であったので,東北地方三陸沿岸で作況指数が10以下であったのに対し,秋田・山形の日本海沿岸はでは100を越え平年並みの収穫となり,地域差が大きく出ました.
北日本の夏季気温の年変動は大きく,10年に1回程度の頻度で冷夏に見舞われています.とくに18世紀から19世紀半ばにかけて地球全体の気温が低下し,日本でも頻繁に冷害とそれによる飢饉が起こりました.この期間には3年に1回の頻度で東北凶作・大凶作の記録があります.とりわけ,享保の冷害(1717~20),天明の冷害(1783~89),天保の冷害(1833~38)とそれらによる飢饉はもっとも厳しいものでした.当時の人口統計から,それぞれ100万人ほどの死者がでたと推定されます.天明の冷夏は,1783年の浅間山の噴火による多量の火山灰の噴き上げが一原因となりました.明治以降での著しい冷夏年には1869年(明治8年),1905年(明治38年),1934年(昭和9年),1954年(昭和29年)があります.第二次大戦前では,冷夏は多くの人が飢え苦しむ飢饉を引き起こしました.収穫不足が飢饉にまで至り死者が生じるか否かは,社会の安定度や経済水準などに依存します.
冷害防止対策には,水の貯熱力を利用する深水かんがい(水温を決めるのは日照),冷風を遮る防風ネット,耐冷品種の採用,病虫害防除,施肥技術などがあります.しかし必要となる資金,機械化への障害,銘柄米への指向等,その実現への障害が数多くあります.天候状態はかなりの変動を繰り返しながら推移していくのが正常な状態です.農作物生産がこのような天候の支配を受けるのは不可避です.被害が避けえないからには,保険・共済・相互扶助の制度で損失負担を分散させるのが,変動を常とする気象・気候条件に適応する方策となります.
客員研究員 水谷武司