防災基礎講座: 防災対応編-自然災害をどのように防ぐか-
8.避難
8.1 避難プロセス
災害の危険が及ぶと予想される場所から予め退避しておくという事前避難,および迫ってくる危険からとっさに逃れるという緊急避難により人身への危害を避けるという対応行動が本来の避難です.被災後に宿泊や休息の場所を求めて避難所に入るというのも避難と呼ばれますが,これは別種の対応であり分けて考えます.避難は人命の被害だけは免れようとするいわば限定的対応であり,明らかな高危険地に居住しているような場合には,住居移転などにより危険を抜本的に除去するまでの過渡的な対応とすべきものです.
避難を効果的に行う基礎は,それぞれの場所・土地・地域の災害危険性についての知識,および対処すべき災害の性質についての理解を得ていることです.災害の具体的な状況はその時々やそれぞれの場所で異なり.警報や避難指示あるいは事前に与えられている避難情報に単純に従うというだけではなく,自ら判断し行動できるようにしておくのが望まれます.土砂災害や山地内での豪雨災害など,局地性の大きい災害では特にそれが必要です.
事前避難の行動は,① 危険の発生と接近の認知,② 避難の必要度・コストの評価,③ 避難の意志決定,④ 避難先・経路・時期・手段の選択,⑤ 避難行為の遂行という時間経過をとって行われます(図8.1).緊急避難ではこの過程がきわめて短時間に進行することになります.
8.2 危険の認知
危機的事態の発生と接近あるいはその発生可能性は,警報など種々の災害情報によって知る場合が大部分です.災害情報は,中央から出される情報(気象情報など)と,地区ごとの現況情報に分けて考える必要があります.災害は多かれ少なかれ突発的であり地域性の大きい現象です.また,情報伝達システムが突発緊急時にうまく作動するとは限りません.状況の広域把握の精度に優れている中央情報(テレビの情報など)を基礎に置き,地区・地域の条件とそこでの具体的現況についての情報を組み合わせて,避難対応を考える必要があります.例えば,大雨・洪水警報が出されている場合,近くの川の水位や雨の強さの変化などに絶えず注意を向けていることが望まれます.
地区ごとの具体的な対応行動の指示で最も重要なものに,市町村長の出す避難の勧告・指示があります.避難指示は拘束力が勧告よりも強く,危険が目前に迫っているときなどに出されることになっています.ただし強制力はありません.突発的あるいは不測の事態に対して的確にタイミングよく勧告・指示が出されるとは限りません.これが効果あるためには,事前に細かい地区ごとの危険性の把握とその周知,および勧告・指示をうけた場合の適切な対応行動を予め心得ていることが基礎になります.
接近しつつある,あるいは発生するであろうと予想される災害現象に対して,いま居る場所がどのように危険であるかの判断は最も重要です.危険の種類や程度は場所によって異なります.人命への危害が大きくかつ危険が急速に切迫するためにタイミングのよい避難が特に必要とされる山地内の災害では,危険の種類や程度は,それこそ家ごとに違うと言ってもよいでしょう.例えば,段丘面上の家は一般に安全ですが,その隣家であっても一段低い低位面にあれば土石流や洪水の危険があります.高い段丘面上にあっても山腹斜面直下であれば山崩れが大きな脅威です.緩勾配の平野内にあって破堤洪水に直面しても,自然堤防上の2階家であれば,家にとどまって1階の家財等を水から守るなどの対応を優先した方がよい場合が多いでしょう.一方,山地内・山麓における洪水では,水位上昇は急速であり流れの勢力は強いので,迅速な避難行動が必要です.強い地震動を感じた場合,海岸低地に居れば津波の危険への対処を何よりもまず考え,急な海食崖下であれば崖崩落の危険にすぐに注意を向けねばなりません.警報や避難指示を受けて,各地区や各戸がそれをどの程度切実に受けとめ,どのように行動したらよいかを決めるためには,あらかじめ地域・地区の災害危険性についての知識が得られている必要があります.山地内など危険状況の局地差が大きいところでは,警報や避難指示(これは地域中央から出される)のないことを安全の情報と受け取ってはなりません.
8.3 避難の決断・実行
一般に不確かな情報の下で,避難の効果やマイナス面(コスト)を考えに入れながら,避難の意思決定を行う際には,突発緊急時の行動心理など種々の人間要因やその時その場所の環境諸条件などが関係します.十分な安全を見こんで早めにより広域を対象に避難指示を出せばよいというものではありません.人命への危害力が小さい場合にはとくにそうです.避難には種々のマイナス面があり様々な生活上の犠牲が要求されます.早すぎた避難指示のため,回避できた物的被害を生じさせることもあります.危険の接近速度は災害によって違います.避難は早いに越したことはありませんが,その前に電気のブレーカを切り,プロパンガスボンベのバルブを閉め,1階の家財を2階に移すなどを,可能であれば行いたいものです.ただし,災害の種類や土地条件によっては一目散に走りださねばならないときもあります.
ハザードマップなどで示されている避難所は一般に,宿泊場所を提供する収容避難所です.危険を緊急に回避する避難場所は,高台にある神社・公園・広場,鉄筋コンクリート造の中・高層建物など,場所・状況に応じて選択します(図8.2).自動車は使用せず歩いて行ける近くが臨まれます.浸水域を歩く場合,深みに足をとられないように充分注意しなければなりません.水深が膝の高さを超えると非常に歩きにくくなり,胸まで達すると,ゆるやかな流れであっても押し流されます(図8.3).大雨時には急激な出水・土石流・山崩れなどに遭うことのない経路をとらねばなりません.自動車による移動では,渋滞や道路途絶で立ち往生しているうちに洪水や土石流などに遭うことがあります.自動車で避難する場合,途中で自動車を捨てることもあるという覚悟で臨む必要があります.山地地域における大雨災害では,避難先あるいは避難途中において山崩れや土石流に襲われたという例がかなりあります.大雨の最中に児童・生徒を下校させたため,途中で難に遭ったということも起こっています.地域・地区の災害危険箇所の事前把握および異常事態時にその地区で起こり得る災害状況の予測が重要です.
8.4 避難の阻害・促進要因
警報や避難指示を受け,あるいは危機的事態に直面した場合の,個々人の判断や行動は一様ではなく,種々の人間要因などが大きく影響して,避難が促進されたりあるいは阻害されたりします.避難に関係する要因として次のものが挙げられます.
(1)災害経験: 直接の被災あるいは身近な災害の経験は,危険意識を高め,危険への反応を敏感にし,避難を促進する大きな力となります.ただし,時間が経てばやがて忘れられてしまう(風化する)ものでもあります.一方,軽微な災害の経験は危険の判断を甘くして,避難を妨げる働きをすることが多くみられます.
(2)個人属性: 年令・性別・教育程度・職業・人種・宗教などの個人属性は,災害時の対応行動に影響を与えます.例えば,一般に老人は避難を拒む傾向があります.
(3)家族要因: 災害時に家族は一体となって行動しようとします.離れている場合には,避難の前にまず一緒になろうとする方向への行動が強く現れます.この結果として逆に危険に接近する方向への行動が行われたりします.小さい子供のいる家庭では早目の避難が行われ,老人や病人をかかえた家庭では避難が遅れがちです.
(4)時刻: 深夜の時間帯では,状況の把握・情報の伝達・避難の実行等が妨げられて,人的被害が大きくなります.近年では生活様式の変化などにより時刻の影響は小さくなってはいますが,深夜はなおも不利な時間帯であることに変わりはありません.
(5)他者の行動: 隣人や近くに居る人が避難するかしないかは,避難の意思決定に大きな影響を及ぼします.情況が不明で迷っている場合には特にそうです.率先して行動することで模範を示したいものです.
(6)リーダーの存在: 安全を守る責任があり,影響力のあるリーダーや決断者(区長,消防団長,派出所の巡査,学校の先生など)がいると,大量避難の成功が可能になります.誰もが責任感と役割分担をもつことによってよきリーダーになり得ます.
(7)地区の態勢: 山村集落では,災害経験を伝承している,自然に密着し土地の性質をよく知っている,隔離されていて自ら守るという意識が強い,強固な地域共同体を持っているなど,避難に有利な条件を備えています.都市域ではこれと逆の条件下にあり,避難は遅れがちです.
(8)災害の種類: 目視でき身体で感じとれる災害(火山噴火など)では,避難が促進されます.前兆があり襲来速度が比較的遅い災害(地すべり,溶岩流など)では,避難がうまく行われた事例が多数あります.
客員研究員 水谷武司