1960年チリ地震津波災害 -遠地津波への対応-

5. 1960年の津波と被害

1960年チリ地震によるチリの被害は死者1,743などで,地震規模が巨大であったわりには大きなものではありませんでした.津波の被害も大きくはなかったようです.日本では北海道から沖縄に至る太平洋岸全域に高い津波が襲来し,リアス式の三陸海岸を中心にして被害が発生しました.死者の総数は139でその大半は岩手・大船渡(53)と宮城・志津川(37)において生じました.

近地津波の周期は10~20分程度であるのに対し,遠地津波では波源域が広大であることなどにより40~60分と長くなります.湾内では,津波は側方から押し込まれるような状態になって湾の奥で高まりますが,また,共振現象によっても増幅されます(図5 湾内での波高増幅).共振は湾の固有周期と津波周期が一致すると起こるので,それぞれの湾において近地津波と遠地津波とでは増幅の仕方がしたがって被害の大きさが,地震のたびごとに違ってきます.奥行きの深い大船渡湾では共振によって津波が増幅され,被害が大きくなりました(図6 大船渡における津波浸水域).津波到達の最大標高は1933年昭和三陸津波では3.5m,1960年には5.5mでした.大船渡市の被害は,死者53,住家全壊・流失383でした.志津川では1933年津波の被害が小さかったことが危険意識を弱めて,被害を大きくすることにつながったと推定されます.

図5 湾内での波高増幅 図6 大船渡における津波浸水域

遠地津波では伝播途中での反射などにより,最大波が第1波のかなり後に出現します.1960年津波では最大波は第3, 4波で,第1波の2~4時間後の午前5~8時ごろ太平洋岸各地に到達しました.すでに夜が明けており,津波襲来の危険を認知して避難を行うことが可能な時間的条件にありました.津波の第1波到達はまず伊豆大島で,次いで根室半島・花咲の検潮所において観測されました(図7 花咲における津波観測記録).第1波は小さな押し波でした.チリ地震断層が低角の逆断層で,西側の海底が押し上げられたことにより,押し波が先頭になって日本に伝わってきました. 第1波が引き波であれば,海面の異常が認知されやすく,また避難の時間的余裕も大きくなります.各管区気象台から津波警報が発表されたのは午前5時ごろで,最大波はこの後に到達しました.

検潮所で観測された最高水位(標高)は,花咲399cm,久慈410cm,女川540cm,御前崎366cm,名瀬440cm,宮古島347cmなどでした.西日本では満潮時刻とほぼ一致したので水位が高くなりました.気象庁の現地踏査により確認された津波高さ(陸地での最大到達標高)は,三陸の野田湾で8.1m,広田湾6.4m,大船渡湾5.5m,志津川湾4.6m,北海道の霧多布で4.3mなどでした.

図7 花咲における津波観測記録
気象庁(1961):チリ地震津波調査報告.気象庁技術報告第8号.

花咲における津波観測記録