2 カスリン台風と利根川の氾濫
2.1 気象概況
1947年9月7日頃トラック島付近で発生した台風はゆっくりと北西進し,12日朝には硫黄島西方500kmの海上に達して進路を北に向けました.このときの中心示度は960mb,中心付近の最大風速は秒速40m,暴風半径は600kmと推定されました.この頃本邦南海上にあった温暖前線は,台風の北上につれて次第に顕著になりつつ北上しました.14日夜半には関東の西部及び北部山沿いまで押しあげられ,その後しばらく停滞気味となったため,14,15両日にかけて山岳部一帯には豪雨がもたらされ,秩父付近では総量600mmを,箱根付近では700mmを超えました.14日夜半頃から台風は衰弱しはじめ,16日朝には中心示度990mbとなり中心付近の最大風速も秒速20m程度となったので,陸上における暴風による被害はわずかでした.台風は15日夜房総先端をかすめ,16日には三陸沖に去りました.
2.2 利根川,渡良瀬川の破堤
関東平野周辺山地における総雨量500~600mmの大雨により,利根川は大規模に出水しました.9月16日未明には,埼玉県・東村地先の新川通右岸堤防が決壊し,この広い破堤口から利根川の流量の大部分が溢れ出したため,大洪水になりました.この付近の河道は新川通という名が示すように人工水路で,利根川を渡良瀬川に合流させるために1621年に開削されたものです.堤防の高さは,明治以来何度も改定されてきた計画規模にまでは達しておらず,河川工事が続行中の状態でした.利根川の現在の河道は人為的に東へ向きを変えられているので,自然の地形には従っていません.このため平野内に流入した氾濫流は,水は低きにつくという自然の理に従い,付替え工事前の自然状態における大利根の流れを再現し,現河道から離れて古利根川沿いに南下しました.氾濫流入量が大量であったため,途中にある中小河川の堤防を次々と破壊しながら流下を続け,19日早朝には東京都内に流入し,江戸川河口から東京湾に排水されました.洪水の流下距離は60kmに達しました.
2.3 利根川の洪水位
中流部の八斗島では,既往最大である1935年の毎秒1万トンを大きく上回り,毎秒1.7万トンの最大流量を記録しました.破堤地点付近では河川水位が堤防よりも0.5m高くなり,延長1300mにわたりオーバーフローして,最終的に延長350mにわたって破堤しました.このように水位が上昇した原因としては,すぐ下流にある鉄道橋と道路橋による流れの堰き上げ,ほぼ同時刻に出水した渡良瀬川との合流による流量急増の影響などがあげられます.新川通の左岸低地(群馬県側)も同時刻に渡良瀬川の決壊により浸水しましたが,ここでは平野の傾斜している方向が堤防によって閉ざされた状態にあるので,氾濫水が滞留して浸水深は最大6.5mにも達しました.なお,現在の河川計画では,渡良瀬川の洪水は広大な渡良瀬遊水地で一時貯留されて,本流の洪水ピーク時には合流しない計画になっています.
「昭和22年9月洪水報告」(1947), 内務省関東土木出張所