防災基礎講座:地域特性編-地域の自然・社会環境が災害の基礎要因である-
Ⅳ 社会経済的環境
1. 社会経済水準
地震や洪水など災害をもたらす事変はもちろん自然現象ですが,それが人間・社会に作用して引き起こされる災害は社会的現象であり,国・地域の社会・経済水準によって大きく影響されます.国民一人当たりGDPは経済水準を示す代表的指標です.人口増加率,平均寿命,識字率などは社会水準・社会の安定度を示す指標になります.一人当たりGDPの小さい低所得の国が最も多いのはアフリカで,南部アフリカを除くサハラ以南に集中しています.東南アジア・南アジアにも,ミャンマー・ネパール・バングラデシュなど多数あります.アフリカは人口増加率,幼児死亡率,出生率,海外からの援助のGDP比などが最も大きい地域です.大きな人口増加は居住環境の悪化などにより災害脆弱性を大きくします.(図4.1)
一般に途上国における災害では人的被害規模が大きくなり,先進国では被害金額が多くなります.1980~2008年の期間における自然災害死者約78万人の2/3は低所得国(1人あたりGDPが年755ドル以下)において,中所得国(同2965ドル以下)を含めるとこの割合が94%にもなっています.災害犠牲者数と人口との比率は,低所得国と高所得国とではおよそ20倍の違いがあります.地震災害では強震動による住宅の倒壊が死者発生の主要原因ですが,途上国では耐震性の非常に劣る住宅が多数あって多くの死者をもたらす結果になっています.中東・南米などの乾燥地帯におけるアドベ(日干しレンガ)造り建物の大量完全崩落がその典型です.河川洪水や高潮災害でも,粗末な家屋は容易に流され,これに伴って人の被害が生じます.河川氾濫原や海岸の危険地にやむを得ず住み着き,また,避難すれば盗難にあう,ときには土地が占拠されてしまうおそれがあるといった理由で,人的被害が大きくなったりもします.災害後の治安悪化,食料・水不足,衛生状態の悪化などによる2次的被害の発生・拡大は,社会的・政治的等の状況によって完全に左右されます.(図4.2)
干ばつ・冷害など長期的に進行する災害では,社会的条件が被害規模に決定的に関係してきます.内戦・部族対立・宗教紛争などにより極めて不安定な社会的状況にあるアフリカ諸国では,厳しい干ばつが起こると死者が100万人の規模にもなっています.日本の江戸時代には天明の飢饉など大きな冷害がたびたび起こり,100万人を超える死者がそのつど出ていましたが,1993年平成大凶作ではもちろん餓死者など全くありませんでした.貧しさからの脱却が人的被害を少なくする基礎的条件です.途上国に対する防災援助もそれを考慮に入れなければなりません.しかし,豊かになればそれに応じて被害が減少するというものでもありません.災害環境条件の非常に悪い地域に立地する大都市(東京など)への社会経済機能の集積の進展は,被害ポテンシャルを巨大なものにしています.
最近の50年間に死者数5万以上の巨大災害(干ばつを除く)は11回あり,そのうちの5回は2000年以降に起こっています.これに先立つ1990年代には,開発途上国の被害軽減を主目的とした「国際防災の10年」の取り組みが国連の主導で行われました.自然災害の被害軽減は,防災活動の範囲を越え長期的に実現されるものでしょう.
2. 経済被害の規模
災害により建築物・構造物・施設等が直接に被った損傷・破壊の被害を価格評価したものが,経済的被害の主なものです.施設等の操業不能・機能停止による損失なども経済的被害ですが,これは間接被害として区別されます.直接の物的被害を価格評価するといっても単純ではなく,評価方法・対象範囲・調査機関などにより様々な値が示されます.世界各国の被害額となると,国ごとの評価方法のおそらく大きな違いに加え,一般に米ドル表示で統一するので為替レートが関わり,また,物価変動を除くためのデフレーターも関係してきます.国によっては被害額が公式には発表されません.政治的配慮が加わっている場合はしばしばです.このように被害金額には種々の問題はあります.
世界の自然災害被害額は加速的増大の趨勢を示しており,最近20年間では年平均500億ドルを超えています.これは必ずしも災害の激化を示すものではなく,主として世界の経済水準上昇の反映です.被害額最大の個別災害は,1995年阪神大震災と2005年ハリケーン・カトリーナ災害(アメリカ)で,約1000億ドル(10兆円)です.カトリーナ災害では1300億ドルほどの額も示されています.ついで被害額が大きいのは,1980年イタリア南部地震440億ドル,1992年ハリケーン・アンドリュ(アメリカ)390億ドル,1994年ノースリッジ地震(アメリカ・ロスアンジェルス)320億ドルなどです.経済先進国では国土内資産は多いし,高賃金で復旧コストは高くなるので,被害金額は多くなります.
一国の社会・経済へのインパクトの程度を示す指標に被害額とその年のGDPとの比率があります.最近40年間では,セントルシア1988年ハリケーン,413%(被害額16億ドル),ケイマン諸島2004年ハリケーン,214%(34億ドル),グレナダ2004年ハリケーン,204%(9億ドル),モンゴル1996年森林火災,192%(20億ドル)などがGDP比の大きな災害で,年間の国内総生産額を大きく上回っています.カリブ海や南太平洋の小さな島国が強いハリケーンに襲われるといったような場合に,大きなGDP比の災害になっています.国土が少し広くなると経済水準は非常に低くてもGDP比は小さくなり,巨大災害であった2010年ハイチ地震では70%(78億ドル)でした.頻繁に起こる災害は恒常的に国の経済に大きな影響を与えており,バングラデシュでは洪水・高潮による年々の損失額がGDPの5%にもなっています.高所得国ではGDP比は非常に小さくなり,阪神大震災で2%,ハリケーン・カトリーナ災害で0.8%程度でした.なお,1923年関東大震災では40%程度と推定されます.
客員研究員 水谷武司