2011年3月11日東北地方太平洋沖地震 特設サイト
三陸地方の津波災害
東北地方太平洋沖地震による東日本大震災に関連して、過去の三陸地方の津波災害について代表的なものを一覧にして掲載しました。 画像をクリックすると画像全体を表示します。
- 869年7月13日(和暦:貞観11年5月26日)<貞観地震津波>
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- 震源:三陸はるか沖、E143.8°N37.5-39.5°
- 規模:M8.3
- 発生時刻:夜
- 津波:津波来襲の砂層有
- 被害:溺死者約1000人
- 備考:
- 陸奥国国府の城下まで水がくる。発光現象があり、原野も道路も海になってしまったとある。
- 津波が入った範囲は津波堆積物の分布から当時の海岸線から2~3km内陸へ遡上し、仙台平野南部の山元町と亘理町では現在の海岸線から3km~4km内陸に津波堆積物が分布している(澤井ほか2006)。
- 参考:【日本三代實録卷第十六より(抜粋)】
- 廿六日癸未。 陸奥国地大振動。 流光如晝隱映。 頃之。 人民呼。 伏不能起。 或屋仆壓死。 或地裂埋殪。(中略) 海口哮吼。聲似雷霆。 驚涛湧潮。 泝漲長。 忽至城下。 去海數十百里。 々不弁其涯。 原野道路。惣爲滄溟。 乘船不遑。 登山難及。 溺死者千許。資産苗稼。 殆無孑遺焉。
- 日本三代實録 卷十六
- XMLの日本古典への応用への試み 提供
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- 宍倉正展ほか(2010):平安の人々が見た巨大津波を再現する―西暦869年貞観津波、AFERC NEWS No.16.
- 産業技術総合研究所 活断層・地震研究センターニュース
- 澤井祐紀ほか(2006):仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波-1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域-地質ニュース624号:p36-41。
- 産業技術総合研究所地質調査総合センター発行 地質ニュース
- 吉田東伍(1906):貞観十一年陸奥府城の震動洪溢、歴史地理8巻20号:p1-8。
- 【資料紹介】 吉田東伍による 『貞観地震』(貞観津波) に関する先駆的論考 (明治39年(1906年)12月発表) 吉田東伍記念博物館友の会通信(ウェブ版)提供
- 災害発生地の今昔 <三陸沖の過去の地震 869年貞観地震>
- 自然災害情報室メールマガジン「自然災害情報の収集・発信の現場から」第17号(2011年06月09日発行)
- 1611年12月2日(和暦:慶長16年10月28日)<慶長三陸地震津波>
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- 推定震源:三陸はるか沖、三陸沿岸および北海道東岸 144.4°E、39.0°N
- 推定規模:M≒8.1
- 発生時刻:午前11時前後以降(巳刻以降)
- 津波:有。大波3回、海鳴り有り。 岩手県田老で推定津波高20m
- 被害:陸前高田市(今泉)50人(溺死)、伊達政宗領内1783人、 南部・津軽人馬3000余、釜石市鵜住居(うずまい)・大槌町・横沢800人、 山田町船越50人、山田20人、宮古市津軽石150人、相馬領700人、北海道東部にも溺死者多数。
- 備考:
- 当時の人口は昭和初期の4分の1であり、死者の割合が高かった。
- 津波の波源は昭和8年三陸地震津波と一致か。
- 岩手県陸前高田市、宮古市では家屋一軒も残らず流出、宮城県岩沼、刈田郡に津波襲来、岩沼辺では家屋流出した。
- 仙台市荒浜、三本塚、下飯田新開が荒地化、新田開発を行う。
- 相馬中村海岸、北海道東部にも津波襲来。
- 阿武隈川に津波が遡上、海岸から7km付近の千貫松まで津波が到達した。
- 根白集落(旧三陸町・現大船渡市)は高地に集落があったため、津波を免れた。
- 津波の波高は明治三陸地震津波より6m高い(今村1934)。
- 山田町折笠 霊堂まで津波が到達した(今村1934)→2011年の津波でも川を遡上し、霊堂まで達した
- 澤井祐紀ほか(2006):仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波-1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域-地質ニュース624号:p36-41。
- 産業技術総合研究所地質調査総合センター発行 地質ニュース
- 災害発生地の今昔 <三陸沖の過去の地震 1611年慶長三陸地震>
- 自然災害情報室メールマガジン「自然災害情報の収集・発信の現場から」第18号(2011年07月08日発行)
- 今村明恒(1934):三陸沿岸に於ける過去の津浪に就て東京帝国大学地震研究所 地震研究所彙報別冊,第1号,pp. 1-16.
- 1677年4月13日(和暦:延宝5年3月12日)<延宝の津波>
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- 推定震源:震源:三陸はるか沖、E142.25 °N41.0°
- 推定規模:M7 1/4~M7 1/2
- 発生時刻:20:00頃
- 津波:有。到達01:00頃
- 被害:大槌、宮古で家屋・船舶流失、人的被害の報告資料なし。
- 備考:
- 夜明けまで余震最大25回か。
- 大槌町60戸中20戸が破損(今村1934)。
- 文献や研究者により地震発生時刻が異なる。
- 1793年2月17日(和暦:寛政5年1月7日)<寛政5年の津波>
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- 震源:三陸はるか沖、E144.5 °N38.5°
- 規模:M8.0-8.4
- 発生時刻:昼九ツ
- 震度:5
- 津波:有、到達10:00、津波の高さは両石4m、大船渡3m、長部(陸前高田)3m
- 被害:内陸での被害もあり。家屋全壊・流失1730余、死者44人以上(うち仙台で圧死者12人)
- 1856年8月23日(和暦:安政3年7月23日)<安政3年の津波>
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- 震源:三陸はるか沖、E142.5 °N41.0°
- 規模:M7.5
- 発生時刻:13:00、地震動2回あり
- 震度:5(三陸沿岸部)
- 津波:震後間もなく来襲、その後4度来襲。宮城県十五浜村(現・雄勝町)では14-15回津波襲来。釜石周辺では波高5.4mに達した。
- 被害:南部・八戸・仙台各藩で死者37人、襟裳岬で山崩れあり。八戸藩、南部藩で合わせて住家全壊289軒、半壊300余り。
- 備考:
- 一度目の振動長かった。余震継続、24-26日の間に10回/日。
- 大槌町江岸寺の門内へ約60cm(2尺)の津波の浸水があった(今村1934)。
- 八戸の馬淵川では上流11kmの櫛引まで津波遡上。
- 1896年6月15日(和暦:明治29年)<明治三陸地震津波>
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- 震源:三陸沖、144°E、39.5°N
- 規模:M=8 1/4
- 発生時刻:19:32
- 震度:4程度
- 津波:有。震後約35分で津波到達。津波の高さは最大で三陸町吉浜24.4mとあるが、文献により高さは異なる。
- 被害:死亡2万2000人
- 備考:
- 地震による被害はなく、いわゆる津波地震。
- その他各地の津波の高さは表1を参照、各市町村(旧市町村)の最も高い高さを記載した。(出典:渡辺(1985)日本被害津波総覧)
明治三陸津波の高さ(青森県) 市町村名 地区名 津波高 八戸市 鮫港 3.0m 階上村(現階上町) 小船渡 6.0m 明治三陸津波の高さ(岩手県) 市町村名 地区名 津波高 種市町(現洋野町) 八木 10.7m 野田村 玉川 18.3m 普代村 大田名部 15.2m 田野畑村 羅賀 22.9m 岩泉町 小本 12.2m 田老町 田老 14.6m 宮古市 姉吉 18.9m 山田町 船越 10.5m 大槌町 浪板 10.7m 釜石市 小白浜 16.7m 三陸町(現大船渡市) 吉浜 24.4m 大船渡市 細浦 6.7m 陸前高田市 小友唯出 10.7m 明治三陸地震津波の高さ(宮城県) 市町村名 地区名 津波高 唐桑町(現気仙沼市) 只越・石浜 8.5m 本吉町(現気仙沼市) 大沢 8.2m 歌津町(現南三陸町) 中山 10.8m 志津川町(現南三陸町) 寺浜 6.8m 北上町(現石巻市) 小泊 6.2m 雄勝町(現石巻市) 荒 8.8m 女川町 御前浜 3.1m 明治三陸地震津波 関連資料- 青森県海嘯災害畫報 全七枚
- 1896年8月に青森県で発行された津波災害後の図で全7枚にわたる。
- 1896 明治三陸地震津波報告書
- 平成十七年三月 中央防災会会議 災害教訓に関する専門調査会
- 明治三陸津波の被害と避難対応
- 東北地方太平洋沖地震特設ページ内 東日本太平洋岸における津波災害-明治三陸津波の被害と避難対応
- 三陸地方地震津浪ニ附キ地質学上ノ考説 pdf4.2MB
- 巨智部忠承(1896):三陸地方地震津浪ニ附キ地質学上ノ考説、地学雑誌8(91):附録。
- 巨智部忠承が三陸地震津波を地質学的観点からまとめたもの。
- 災害発生地の今昔 <津波碑と明治三陸・昭和三陸地震津波>(メルマガ第23号2011年12月09日発行)
- 災害発生地の今昔 <宮古市内の津波碑>(メルマガ第24号2012年01月16日)
- <1933年3月3日 昭和三陸地震津波>(和暦:昭和8年3月3日)
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- 発生日時:1933(昭和八)年3月3日 2時31分
- 震源:三陸沖 E144°31′,N39°14′
- 規模:Mj=8.1,深さ:10km
- 最大震度:5
- 津波:有。震後0分から1時間後に津波到達。最大津波高 岩手県三陸町(現・大船渡市)綾里23.0m
- 被害: 1,522名
- 備考:
- 地震によって石垣が崩れるなどの被害があった。
- 1896年の明治地震津波の教訓が生きた土地も多数あった。
- この地震を契機に集落の高地移転と、避難道路・防潮堤・防潮林の対策が進んだ。
- 昭和三陸津波の被害と避難・高地移転
- 東北地方太平洋沖地震特設ページ内 東日本太平洋岸における津波災害-昭和三陸津波の被害と避難・高地移転
- 災害発生地の今昔 <津波碑と明治三陸・昭和三陸地震津波>(メルマガ第23号2011年12月09日)
- 災害発生地の今昔 <宮古市内の津波碑>(メルマガ第24号2012年01月16日)
- 災害発生地の今昔 <アウターライズ地震と昭和三陸地震津波>(メルマガ第24号2012年12月13日)
- 昭和三陸地震津波(1933)被災地の空中写真(提供:(独)土木研究所)
- <1960年5月24日チリ地震津波>
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- 発生日時:1960(昭和35)年5月23日 4時11分(JST)(現地時間:1960年5月22日15時11分)
- 震源:チリ沖 73.5°W,41°S
- 規模:Mw9.5,深さ:0km
- 被害:全体の死者数は約2,000名
- 日本での津波到達時刻:1960(昭和35)年5月24日 2時20分
- 日本での津波の高さ:5.5m(大船渡)
- 日本での被害:
- 死者139名(大船渡,志津川で顕著な被害)
- 家屋全壊1500戸、罹災世帯3万2049戸
- 北海道では陸繋島であった霧多布地区が、津波によって寸断され島となる
- 鹿児島県奄美大島では700戸近くの床上浸水の被害が発生
- 北海道・青森・岩手・宮城・三重の被害総額358億円(道路、公共施設と船舶など含)
- チリ地震津波の被害と遠地津波への対応
- 東北地方太平洋沖地震特設ページ内 東日本太平洋岸における津波災害-チリ地震津波の被害と遠地津波への対応
- 昭和35年チリ地震津波50周年特別企画展
- 防災科学技術研究所 自然災害情報室 特集ページ
- 1960 チリ地震津波報告書
- 平成二十二年 中央防災会会議 災害教訓に関する専門調査会
- 15.集落の高地移動と津波対策
- 国土地理院(1961):「チリ地震津波調査報告書―海岸地形とチリ地震津波―」、国土地理院技術資料D1-8、p64-76。
- 1960年チリ地震津波災害調査
- 国土地理院トップページ > 地図・空中写真 > 主題図 > 災害の記録 > その他災害状況図の閲覧 > チリ地震昭和35年調査 各種地形分類図 > 解説
- Historic Earthquakes Chile 1960 May 22 19:11:14 UTC Magnitude 9.5 The Largest Earthquake in the World(提供:USGS,英語)
- 参考文献
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- 宇佐美龍夫(2003):最新版日本被害地震総覧[416]-2001,東京大学出版会.
- 渡辺偉夫(1985):日本被害津波総覧,東京大学出版会.
- 中央防災会議 災害教訓の継承に関する専門調査会(2005):1896明治三陸地震津波報告書