2011年3月11日東北地方太平洋沖地震 特設サイト

東北地方太平洋沖地震

青森県海嘯災害畫報(1896年6月15日明治三陸地震津波 関連資料)

1896(明治二十九)年6月15日に発生した明治三陸地震津波による青森県の津波被害の状況を描き、かわら版として出したもの。 描いた場所の詳細な住所と描かれている被害者名が記載されている。

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第1図 青森県上北郡三沢村大字三川目 平民冨田熊吉妻及長女を背負いて川底に埋められ惨死したるを発掘する図
第1図 青森県上北郡三沢村大字三川目 平民冨田熊吉妻及長女を背負いて川底に埋められ惨死したるを発掘する図

現在の青森県三沢市三川目付近の様子。川の右岸から親子の遺体を引き上げている様子が描かれている。 川岸は崖のように描かれていることから、川底と川岸で高低差がある河川と推測できる。 両岸に瓦礫が見られないことから、津波が川沿いに遡上してきたものと考えられる。 なお、青森県三沢市三川目公民館にある木製の三陸海嘯被害略図(青森県石碑分布No.2、津波ディジタルライブラリィ2013)に冨田熊吉氏と思しき人物名が記載されている。

第2図 青森県上北郡三沢村大字三川目 平民熊谷豊久の死体発見の図
第2図 青森県上北郡三沢村大字三川目 平民熊谷豊久の死体発見の図

第1図と同じく,青森県三沢市三川目の津波被災後の様子. 水田に津波によって運ばれた瓦礫が広がっているが,画面中央より奥には瓦礫がないことから, 画面奥の水田や高台には津波が来ていないことがわかる. また,画面左奥に橋や桟橋のようなものが見られることから, 瓦礫は川に沿って遡上してきた津波によるものと考えられる.

第3図 青森県上北郡百石村大字一川目 吉田菊次郎屋敷の惨状の図
第3図 青森県上北郡百石村大字一川目 吉田菊次郎屋敷の惨状の図

本資料の左上に描かれた神社は、青森県おいらせ町一川目徳永稲荷神社であり現在も同じ位置に立地している。 正面に描かれている参道の階段は現在土に覆われ、上ることは難しいが鳥居はそのままの位置に残存し、社殿の屋根の角度や大きさも相違がない。 この神社と吉田菊次郎氏屋敷の付近の標高差は約15mである。 東日本大震災では、この付近は約0.8m程度浸水したが、過去にはそれ以上の高さの津波被害があったことがわかる。

第4図 青森県上北郡百石村大字一川目 平民吉田スワ,同ヨシ,同ヒテ,同ヲノイ,同大太郎及び同村平民相坂トキの六名,吉田の宅地内に惨死したる図
第4図 青森県上北郡百石村大字一川目 平民吉田スワ,同ヨシ,同ヒテ,同ヲノイ,同大太郎及び同村平民相坂トキの六名,吉田の宅地内に惨死したる図

第3図の吉田菊次郎氏宅内と推測されるが、残念ながら位置関係の特定をすることが出来なかった。 画面中央に柵がありそれより画面奥の集落では津波による被害が見受けられない. また画面手前には瓦礫が描かれているが,奥には描かれていないことから,画面奥の集落はやや高いところにあると推測できる.

第5図 青森県三戸郡市川村 佐藤市の妻子,家屋の下に惨死したるを発掘する図
第5図 青森県三戸郡市川村 佐藤市の妻子,家屋の下に惨死したるを発掘する図

家屋の下敷きになった親子が,残存した茅葺屋根を掘り起こして発見された様子が描かれている.

第6図 青森県三戸郡市川村 湊松之助長男市の妻子,惨死の翌日検死済親子三人一棺に納め埋葬せんとする図
第6図 青森県三戸郡市川村 湊松之助長男市の妻子,惨死の翌日検死済親子三人一棺に納め埋葬せんとする図

画面右上の家屋は,元の形を留めたまま津波によって流れついたものと考えられる. 同様の現象は今回の地震でも発生していた. また画面奥の集落は,家屋の倒壊や瓦礫が見られないため,少し高台にあることがわかる. 表題から被害者は第5図の佐藤市一家ではないかと推測され,第5図より一日後の様子であることがわかる.

第7図 青森県三戸郡市川村 木村金吾罹災後潰れ家の屋根に穴を穿ちて仮に住居する図
第7図 青森県三戸郡市川村 木村金吾罹災後潰れ家の屋根に穴を穿ちて仮に住居する図

津波が家屋の柱を倒し,茅葺屋根だけが残っている. この屋根に穴をあけて,その中で被災した人々が生活していることがわかる. 今回の津波でも古民家の尾形家住宅(宮城県気仙沼市小々汐地区)は柱や壁は破損したものの,屋根はほぼ無傷で,この図とほぼ同じような茅葺屋根だけの状態となった.

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