2011年3月11日東北地方太平洋沖地震 特設サイト
東日本太平洋岸における津波災害
-チリ津波の被害と遠地津波への対応
1960年5月23日午前4時すぎ(日本時間),南米のチリ南部でマグニチュード9.5という観測史上最大の超巨大地震が発生しました.これによって生じた大きな津波は平均時速750kmという高速で太平洋を横断し,22時間半後の午前3時ごろに太平洋の真向かいにある日本列島の沿岸に達しました.津波到達の標高は三陸海岸で8mを越え,全国で死者139,住家の流失・全壊2,830棟,半壊2,183棟,浸水37,195棟などの大きな被害が生じました.被害の発生は北海道から沖縄に至る太平洋岸のほぼ全域に及びました.被害が大きかったのは北海道,青森,岩手,宮城,千葉,三重,和歌山,高知,鹿児島の道県および沖縄でした.
日本はチリ沖からの津波が収斂してくる位置にあるので,潮位観測所で記録した津波の波動は,遠い日本で非常に大きくなりました.振幅(山から谷までの高さ)の最大値は日本で6.1m,アリューシャンで3.4m,カナダで3.3m,ハワイで2.9m,オーストラリアで1.6mなどでした.なお,陸上への最大到達標高はさらに大きくなり,ハワイ島のヒロで10.5m,三陸の久慈で8.1mなどでした.チリからの大きな遠地津波の襲来はこれ以前にもかなりあって,近世以降では50年に1回ほどの頻度で,被害を伴うチリからの津波が襲っています.明治以降では1877年と1922年に死者や家屋流失をもたらす津波が襲来しています.
津波は7時間前にハワイ島に到達し死者61人などの被害を引き起こしており,その情報は米軍を通じて伝えられていたのですが,警報が出されたのは津波が日本に到達し各地から潮位の異常変化が報告されてきてからのことでした.これを契機にして太平洋津波システムに日本も組み入れられ,遠地津波に備える体制がつくられました.
チリにおける被害は死者数1,743などで,地震規模が巨大であったわりには大きなものではありませんでした.津波の被害も大きくはなかったようです.日本では北海道から沖縄 に至る太平洋岸全域に高い津波が襲来し,リアス式の三陸海岸を中心にして被害が発生しました.死者の総数は139でその大半は岩手・大船渡(53)と宮城・志津川(37)において生じました.
遠地津波では途中での反射などにより,最大波が第1波のかなり後にやってきます.この津波では最大波は第3,4波で,第1波の2~4時間後の午前5~8時ごろ太平洋岸各地に到達しました.したがって津波襲来の危険を認知して避難を行うことが可能な時間的条件にありました.
遠地津波では波源域が広大であることなどによって周期が40~60分と長くなります.共振は湾の固有周期と津波周期が一致すると起こるので,それぞれの湾において近地津波と遠地津波とでは増幅の仕方が,地震のたびに違ってきます.奥行きの深い大船渡湾ではこの長周期の波と共振して津波が増幅され,被害が大きくなりました.津波到達の最大標高は1933年昭和三陸津波では3.5m,1960年には5.5mでした.大船渡市の被害は,死者53,住家全壊・流失383と大きなものでした.志津川では1933年津波の被害が小さかったことが危険意識を弱めて,被害を大きくすることにつながったと推定されます.
(2010.4.30 水谷武司)