. ハリケーンカトリーナ災害調査速報

7.2災害対応

米国の災害対応は州政府を軸にしている。市やカウンティ(ルイジアナの場合はパリッシュ)のような地方自治体には州政府の政策を実行に移す役割が与えられているが,災害対策の基本方針や事前対策などを決定するのは州政府の重要な責務となっている。そのため州知事の権限は大きく,知事は州軍(National Guard)の最高司令官の役割も与えられている。連邦政府は州政府だけでは手に負えない災害やテロなどの緊急事態が発生した際に,その支援を行う役目を担っており,その場合は大統領が各州の州兵を連邦正規軍に編入し,知事の統率権が停止される。今回はイラクに派遣されていたルイジアナ州兵が緊急帰還する措置もとられた。

ハリケーンカトリーナに対する行政の対応経緯については,被災直後から各方面より批判意見が出ており,連邦議会も調査委員会を設けて問題点の洗い出しを行っている。カトリーナより約1ヵ月後に上陸したリタの際には,事前の準備や避難が功を奏し,死者が極めて少なかったが,カトリーナによる被害の深刻さを目の当たりにしたことと,対応の遅れに対する反省が影響したことは明らかである。

2005年12月2日にルイジアナ州のキャスリーン・ブランコ知事は連邦議会の要請に応じ10万ページにも及ぶ資料を提出しており,その要約はWebでも公開された。ニューオーリンズ市を初めとする各地方自治体,連邦の関係省庁も,災害への対応経緯や住民への緊急広報をインターネットを通じて行っており,今回ほど情報にあふれた災害はないであろう。これら公開資料とマスコミに報道された情報に基づき,今次災害に対するおよそ3ヶ月間の経緯をまとめたタイムラインを作成した。改めて災害対応の問題点を整理してみると,この災害を特徴づける3つの点が指摘できる。

(1) 事前対策-警告は活かされなかった

ブランコ知事はルイジアナ州がカトリーナの進路予測範囲に入ったため,州の専門家との協議,NHC(ナショナル・ハリケーン・センター)スタッフからの助言を受けて,州の緊急事態宣言(Declaring a State of Emergency)を発令した。ニューオーリンズ都市圏の大量の人口を無事に避難させるために,幹線高速道路を一方通行にする避難プログラム(contra-flow evacuation plan)が発動されたが,これはブランコ知事が就任一年後に経験したハリケーン・アイヴァンで得た経験から見直しを図ったものといわれている。その後,知事はニューオーリンズのネーギン市長とともにテレビ等を通じて市民に退去を呼びかけ,また上陸の前日には強制避難命令を出したが,ニューオリンズ市民の中には避難に応じることができない人たち,特に車などの移動手段を持たない人々が多数取り残される結果となり,自宅に留まった多くの人が救出を待つことになった。州ではニューオーリンズ周辺のパリッシュからスクールバスを調達して,市民の脱出のための支援を始めたが既に手遅れであった。

この数十万人規模の避難という前例のない事態は想定されていなかったわけではない。 数年前より一部専門誌や一般紙などにもニューオーリンズの水害の特集記事が組まれ,同市が海面下にあるという特性から再三警鐘が鳴らされてきたが、今回はそれらが活かされなかった。

(2) 直後対応-州と連邦の連携はなぜうまく行かなかったのか

 ブランコ州知事の要請を受けて,ブッシュ大統領はハリケーン上陸2日前の27日に大統領災害宣言(Stafford Actに基づく)を発した.形式的にはこれで連邦が全面的な被害支援を行う(National Response Plan)ことになるのだが,実際にはFEMA,DHSのスタッフは既に活動を開始していたと言われる。しかしながら,多数の避難者が集まっているニューオーリンズのスーパードームに州兵による水や食料,医薬品などの緊急支援物資が届いたのは,28日にカトリーナが上陸してから4日が経過した9月2日のことであった。

 この遅れについてはいろいろな原因が指摘されており,被災地の状況が連邦政府に正しく伝えられていなかったとか,連邦政府の対応が官僚的(bureaucratic)だったなどという話も出ている。9.11以降FEMAが国家安全保障省(DHS)の下部組織になったことも意思決定の遅れの原因だとする指摘も多い。ブッシュ大統領自身も対応に問題があったことを認める発言をしており,FEMAのマイケル・ブラウン局長は辞任に追い込まれた。現在,議会で調査が行われている。ニューオーリンズ市内では一部で市民による略奪行為の発生なども報じられており,ブランコ知事が州警察に厳重な取締りを命ずるなど,対応に苦慮した場面も伝えられた。

 米国の自治制度は州と連邦の権限の綱引きが特徴でもあるが,1990年代半ば頃から地方への回帰の動きがあるといわれている。これらが災害対応にどのように影響したのかは今後分析が進められるであろう。

(3) 事後処理-長期化する被災者支援策

 ルイジアナ州では復興を効率的に進めるため,ルイジアナ復興公社(LRA:Louisiana Recovery Authority)を設立して復興事業を一元処理している。またブランコ知事は被災者救済のための特別なファンド(Louisiana Disaster Recovery Fund)を作ると発表した。しかし復興を一番難しくしているのは,被災地に住民が戻っていないことである。12月6日の報道によれば,被災前に約50万人だったニューオーリンズの人口は6万人に激減したままという。

 FEMAは被災者に対して一時的な避難所からホテルや住宅に移動するプログラムを導入したが,仮設住宅の供給の遅れや被害の深刻さから,まだかなりの数の市民がホテルなどに宿泊しており,そのコストも相当な額にのぼっている。そこでFEMAは12月で宿泊施設の利用費用支援を一旦打ち切ると通達した。しかし各方面から強い反発を受け,2006年1月まで延長し被災者の状況に合わせてケース・バイ・ケースで対応すると発表した。トレーラーハウスの整備も進めているが,ロケーションが悪いために利用したくないという声も報道されている。復興の鍵はやはり住宅の確保による住民の帰還にあるといえるだろう。

(坪川博彰)
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