関東大震災資料:災害写真
関東大震災では数多くの災害写真が残されています.当時撮影された写真は絵葉書として売り出され,また写真のみの販売も行われたようです. このページでは,自然災害情報室が所蔵する災害写真の中から,建物の被害,被災後の様子,地盤災害の写真を掲載しています.
本ページでは,写真に記載されたキャプションを掲載していますが,キャプションが誤っている可能性があります.正確な情報をご存じの方はぜひご連絡ください.
地震動による建物への被害状況
- 大震災 浅草十二階
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- 場所:東京都台東区浅草公園付近
1890(明治23)年に建造された,12階建て(高さ50m)のレンガ造りの建物.正式名称は「凌雲閣」で,浅草十二階は俗称.関東大震災により8階から上部が崩壊し,陸軍によって爆破・撤去された.
・高解像度PDF:浅草十二階(5.88MB)
- 大地・呉服橋・・・
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- 場所:東京都千代田区大手町2丁目
高田商会本店社屋の被害.地震によって建物3階と4階の間の外壁が破壊しており,天井部分が落下した.元々は5階建て(高さ約20m)の煉瓦造りのビルであった.同商会は地震と火災による社屋・商品の損害と,世界的な軍縮の影響によって1925年に経営破たんした.その後,社屋は東洋生命保険本社として改修されたが,後に撤去.現在は朝日生命大手町ビルが建っている.(タイトルの「・・」は判読不能文字)
・高解像度PDF:高田商会社屋(6.55MB)
- 丸の内東京会館の外廊大破損惨状
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- 場所:東京都千代田区丸の内3丁目2番1号
東京會舘の被害.3階部分が破損している.東京會舘は1922年に竣工・開業し,現在も同地で営業している.写真の建物は関東大震災被災後に修復を行い,昭和45年2月まで利用されていた.
・高解像度PDF:東京會舘(7.70MB)
地震および大規模火災後の状況
- 横浜海岸通り火災以前の群集
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- 場所:東京都中央区日本橋2丁目
- 日本語キャプション:大正十二年九月一日正午地軸を動かす大激震に横浜八十万の人々の平和を破つて町と云ふ町は避難者の波を起こした
- 英語キャプション:Sea-side street yokohama ceowded by refugees
画像のキャプションには地震直後の横浜海岸通りの様子とあるが、当時つけられたキャプションが間違っており、正確な位置は日本橋2丁目である.写真左側の建物が倒壊し,路面に軌道が写っている.この倒壊した建物と連続した写真が「東京日本橋通りの惨状」として残されている.詳しくは「2013年一般公開展示資料 1923年関東大震災関連資料:災害写真(PDF, 3.2MB)」をご覧ください.
・高解像度PDF:横浜海岸通り(5.79MB)2016年9月29日,キャプションを修正しました.
- 横浜震害正金銀行
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- 場所:神奈川県横浜市中区南仲通5-60
- 参考:神奈川県立歴史博物館ホームページBlank
横浜正金銀行は,現在の三菱東京UFJ銀行の前身とされる銀行.本店建物は地震後に発生した火災の延焼により,本店屋上ドームおよび1~3階まで焼失した.なお,地下は無事だった.建物は現在,神奈川県立歴史博物館の建物として利用されている.
・高解像度PDF:正金銀行(8.90MB)
- 横浜震災南太田付近
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- 場所:神奈川県横浜市旧南太田付近
火災によって建物が焼失している.
・高解像度PDF:横浜市南太田(17.0MB)
- 東京文部省の荒寥たる焼跡
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- 場所:東京都千代田区一ツ橋1丁目1
- 日本語キャプション:残った石の柱,焼かれて黒い樹木,もし虫の音を聞かば敗残のローマの都とも見るべし荒寥たる光景よ文教の首府今や庁影だもなし
- 英語キャプション:The site of fire of the Educational Department, Tokyo
当時の文部省は,現在のパレスサイドビルが建っている付近にあった.関東大震災によって建物が焼失したため,1933年に現在地の虎ノ門に文部省の庁舎が建造された.
・高解像度PDF:東京文部省(7.02MB)
地盤災害の状況
- 霊山ヶ崎東側の斜面崩壊
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- 場所:神奈川県鎌倉市坂ノ下付近
霊山ヶ崎東側の斜面崩壊の様子.崖下に崩積土が堆積している.現在はこの斜面の直下に道路が走り,建物が立ち並ぶ.
・高解像度PDF:霊山ヶ崎(6.43MB)
- 横浜市紅葉坂下亀裂
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- 場所:神奈川県横浜市中区花咲町周辺
現在の紅葉坂下からJR桜木町駅周辺の様子.写真右手側が海側.道路に地割れが多数みられる.
・高解像度PDF:横浜市紅葉坂下(9.54MB)
- 横浜市港内岸壁陥没
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- 場所:神奈川県横浜市横浜新港埠頭3号岸壁
- 震災後の新港埠頭周辺の空中写真Blank(出展:横浜市中央図書館関東大震災を調べるBlank)
- 昭和6年の三千分一地形図 第三十号「新港町」Blank(出展:横浜市行政地図情報提供システムBlank)
3号岸壁と4号岸壁の間から撮影.岸壁は側方流動によって破壊されており,岸壁に沿って立っていた建物の壁が陸側に倒れている.
・高解像度PDF:横浜市横浜新港埠頭(9.30MB)