防災基礎講座
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8. 山地内・山麓の都市における豪雨時の土砂・洪水複合災害 
 -1938年阪神水害,1945年枕崎台風による呉災害,1967年神戸水害,1982年長崎水害など

六甲山における豪雨災害
  1938年7月3日から5日にかけて六甲地域に梅雨前線の豪雨が降り,総降水量は六甲山頂で616mmに達しました.雨が最も強かったのは5日の午前中で,8時~11時の3時間雨量は神戸海洋気象台で134mmを記録しました.すでに400mm近い先行降雨があったところにこの強雨が加わったため,六甲山地で非常に多数の山崩れ・土石流が発生しました.多量の土砂および洪水は山麓の街に氾濫し,死者・行方不明731人,流失・全壊家屋5,492戸などの大被害を引き起こしました.被害は神戸から西宮にかけての地域(阪神間)に集中したので,阪神大水害と呼ばれています(図8.1 1938年阪神水害の土砂・洪水氾濫域).神戸市では市人口の72%が被災しました.神戸は風化花崗岩よりなる急峻な六甲南面の山麓に位置しているので豪雨による災害の危険が非常に大きく,昔から頻繁に土砂・洪水災害を経験しています.奈良時代以降のおよそ1400年間には70件以上の大きな水害の記録があります.近年では1961年6月および1967年7月に大きな災害が発生しました.

六甲山南麓の扇状地と土砂氾濫
  六甲山地は南南東に向けて最大比高900m,長さ約20kmの急峻な断層崖を連ねています.日本の太平洋岸域には南方から湿潤気流が流入してきますが,これが山にぶつかると強制的な上昇が生じて風上にあたる南側の斜面および山麓に強い雨が降ります.この地形効果により,38年,61年および67年の雨量はほぼ同じ分布パターンを示しました(図8.2 六甲山域における地形に支配された集中豪雨).六甲山地は活断層群で画された断層山塊で,地質はほぼ花崗岩よりなります.花崗岩は大きく結晶成長した鉱物粒子が集まって構成されています.これが地下水作用や地殻内での圧縮力をうけると,粒子間の結合がゆるんで脆くなります.外見は硬い岩のように見えても,指先で突き崩すことができるような状態に深くまで風化していることが多くみられます.このため花崗岩山地に大雨が降ると全山崩れるといったような状態になります.崩壊土砂は滑り落ちる間に流動性を増して土石流に変わり,谷底を高速で流下して山麓を襲います.土石流本体は地表の勾配が2~3°ぐらいまでのところで停止しますが,堰き上げによって水位を増した後続洪水流は多量の土砂・流木を運んでさらに流下し氾濫します.通常の出水時にも,谷底に多量に堆積していた土砂が山麓に運ばれてきます.これら土砂の堆積の繰返しによってつくられたのが扇状地です.

  六甲山には「六甲六百谷」といわれるように多くの谷が発達しており,南麓にはそれらがつくる扇状地が連続して形成され複合扇状地となっています(8.3 六甲南麓の扇状地).これが典型的に発達しているのは芦屋川から新生田川にかけての地域で,ほぼ海岸線までが扇状地です.その幅は1.5~2.5km,平均勾配は1/20ほどであり,扇状地の上半分は土石流の到達範囲にあたります.この扇状地域にはいくつもの川が流れ出しています.水源が主稜線にある芦屋川・住吉川などの大きな川は下流において天井川となり大阪湾に注いでいます.背後の山地が低い生田川西方では扇状地の発達はわずかで,海に面して低平な海岸低地が形成されています.

  神戸はもと兵庫津として知られた港町です.幕末に旧湊川河口の北側が外国船の泊地に指定され,以来貿易港として発展してきました.明治中期ころまでは湊川三角州を中心とした海岸低地に市街地が展開していました.この旧市街地を流れる湊川と生田川はそれぞれ市街の西方および東方に付替えられ,また現在のJR神戸駅北を流れていた宇治川の下流部は,川へのゴミ投棄を防ぐ,土地の有効利用を図るなどの理由で暗渠化されました.その後東方の扇状地域に市街化が進展し,扇状地群を横断して3本の鉄道線路が通されました.豪雨時には,山から押し寄せてきた土砂・流木が暗渠をすぐさま閉ざして濁流が溢れ出します.鉄道のガードは流木でふさがれ氾濫を大きくします.

神戸における土砂・洪水複合災害
 1938年の水害で最も大きな被害を引き起こしたのは,天王谷川・石井川(旧湊川上流)および宇治川の土砂・洪水氾濫で,湊区と湊東区の両区で死者357人,建物の流失埋没倒壊2,297戸の被害が生じました(図8.4 湊川・宇治川の流路変更と1938年被災域).これは全市被害の半分以上を占めます.並走する断層群の活動により天王寺谷の出口付近はやや凹状の地形(断層凹地)になっており,ここで大きな氾濫と土砂堆積が生じました.この谷はトンネル水路で西方の刈藻川に付替えられていましたが,洪水は元の河道に従って神戸駅方向に流下しました.六甲山頂を流域内にもち,見事な扇状地をつくり河床が高い住吉川では,土石流は扇頂部から扇状地面上に溢れて,扇状地全体に洪水と土砂が氾濫しました.ただし下流の天井川化したところは高いので浸水を免れています.省線(JR)住吉駅付近では土砂が2mの厚さに堆積しました.土石流による大きな被害を引き起こした都賀川は複合扇状地の凹部を流れているので,氾濫はほぼ河道周辺に収まっています.土砂や洪水の運動は地形によってほぼ支配されています.六甲山地から流出した土砂量は600万立方mほどと推定されています.この土砂量はさほど多いものではなかったのですが,被害は甚大でした.

  1961年の豪雨では,六甲山域に進出した新興市街地における崖崩れ被害が多く発生しました.これには宅地造成による地形改変が原因とされるものがあり,宅地造成等規制法の制定の契機となりました.兵庫県下の被害は死者41人,家屋全半壊229戸などでした.1967年の豪雨では,山地内での山崩れ被害と山麓市街域での小河川氾濫の被害が生じました.生田川上流の市が原では,急傾斜の山地上でのゴルフ場建設が原因で,大きな山崩れが発生し21人の死者をだしました.起伏地の地形改変は雨水の浸透・流出の条件を変えて土砂災害発生の主因になっています.花崗岩山地は植生破壊により容易に禿山化して多量の土砂を流出させます.河川の氾濫は対策工事がより遅れていた小河川で多く,やはり暗渠の閉塞による中下流部での氾濫が目立ちました.市中心部を流れる宇治川は改修に多くの予算投入が行われてきたものの大きく氾濫し,基礎洗掘によるビル倒壊という被害も発生しました.河道が付け替えられてはいても,洪水の氾濫は元の地形に従います.

呉の土砂災害
 花崗岩山地域にあって災害を繰返し被っている都市に,広島県の呉市があります.呉中心市街(呉地区)は,標高800mの花崗岩山地に囲まれたすりばち状の地形内に展開しています.明治中期に軍港に指定されて以来人口は急激に増え,山地内にも住宅が進出し,地形の人為改変が進みました.神戸が被害を受けたと同じ1967年7月豪雨により,斜面崩壊と土石流が多数発生して,死者88人,住家全半壊流失657戸などの被害が生じました.敗戦直後の 1945年9月には,枕崎台風の豪雨によって生じた土石流および洪水により,中心市街はほぼ土砂に埋まって,死者1,154人,全半壊流失1,951戸という,このタイプの災害では最大の人的被害が生じました(図8.5 枕崎台風による呉市の被害).敗戦直後の混乱期であったことが死者を多くする一つの要因になったと考えられます.

1982年長崎豪雨災害
  山地内に立地する大きな都市に「坂の街」長崎があります.ここの地質は花崗岩ではありませんが,標高400mの安山岩山地の中の狭い谷底低地と急傾斜の山腹斜面に人口45万の市街地を展開させています.1982年7月23日夜,この脆弱な都市環境の地域に1時間降水量の記録を更新するという集中的な豪雨が降ったため,山崩れ・がけ崩れ・土石流・渓流洪水・河川の氾濫・内水氾濫などが同時的に多発し,死者299人,住家流失倒壊584戸の大きな人的・物的被害に加え,電力・ガス・水道等のライフラインの機能停止,交通通信路の切断,都市公共施設の被災,自動車の大量流失など,都市型被害が大きな規模で複合的に発生しました(図8.6 長崎豪雨による被害の分布).死者の多くは少数の山崩れと土石流により発生しました.10人以上の死者を出した山崩れ・土石流は7件ですが,これだけで土砂による死者総数の半分を占めています.自動車に乗っていて流されたことによる死者が12人と洪水死者の4割も占めたことも一つの特徴でした.最近重大視されている地下空間への洪水の流入はこの災害時にも生じています.病院の地下機械室が浸水して診療機能に大きな障害が生じたという事態も起こりました.なお38年の阪神大水害でも,中心市街において地下室や地下道への氾濫水の流入が生じています.

  雨は夕刻から降り始め,7時ごろから急にその激しさを増し,8時ごろには10分間雨量で30~40mmのピークに達し,その後3~4時間強い雨が降り続きました.北部の長与町役場では60分で187mmという観測史上最大の雨量を記録しました.この急速な強雨の立ち上がりに対応して,山崩れ・土石流・河川の氾濫が同時的に多発し,11時ごろまでの3~4時間続きました.市消防局の38回線ある119番は,8時ごろからは殺到する通報でほとんどつながらない状態になりました.このため警察や市役所にまで通報が押し寄せました.雨が激しくなるにつれ,市内の各所で災害が同時発生し,たちまち多くの市民が危険に巻き込まれていったことがよくうかがわれます.

  しかし,通報をうけても出動することはたちまち不可能となり,自主的な対応策を電話で伝えるだけという状態に陥りました.山地内に入り組んだ市街を展開させている都市の住民は,中心街から遠くないところではあっても,豪雨災害時に外部からの援助がすぐに来るとは期待せず,各個人あるいは小地区住民の自主的な判断と行動によって危険に対処するという心構えが必要です.山地域では交通路は完全に遮断され孤立状態がたやすく出現します.また,雨が強くなると危険が急迫します.危険を感じた頃にはすでに遅いということにもなりかねません.その危険も背後の斜面からも谷からも,また足元の川からもといったように多方向から襲来し,しかもそれは場所によって異なります.常日頃から危険の種類・性質と安全な場所を見極めておいて,緊急時に的確な行動が起こせるように準備しておくことが望まれます.

主要参考文献
兵庫県治山林道協会(1998):六甲山災害誌.
稲見悦治(1967):都市災害論序説.古今書院.
神戸市役所(1939):神戸市水害誌.
国土交通省土地・水資源局(2002):土地保全図(広島地域).
国立防災科学技術センター(1984):1982年7月豪雨(57・7豪雨)による長崎地区災害調査報告.主要災害調査第13号.
長崎県(1984):7.23長崎大水害の記録.
高橋 博ほか編(1987):豪雨・洪水防災.白亜書房.

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