防災基礎講座
気象災害 地震火山災害 災害全般


15. 地震火災

都市大火
 1923年の関東大震災は,被害規模および社会経済的インパクトの大きさからみて,世界の自然災害史上で最大規模の災害であったと判断されます.このような大災害を引き起こした主因は,本震の後に発生した大規模延焼火災です.東京市(旧15区)における住家全潰はおよそ1.2万棟であったのに対し焼失は棟数で約22万,世帯数では約28万で,火災による被害が大部分を占めました.焼失域は市域総面積の44%に達し,死者総数約6.9万人の95%は火災によるものでした(図15.1 関東地震による東京の火災域).横浜市では宅地面積の75%が焼失し,6.3万世帯が全焼被害を被りました.

 関東地震時の火災は特に巨大規模でしたが,日本では大地震の際には必ずと言ってよいほど大規模火災が発生しています(15.1 地震火災).1995年の兵庫県南部地震による神戸市における火災は焼損棟数7,379棟で,関東地震時の東京市と横浜市に次ぐ大火でした.日本の家屋のほぼすべては木造です.木材は軽くて粘りがあるので耐震性に優れているものの,一方燃えやすいという欠点があります.したがって,家屋が密集する市街地においてひとたび延焼火災に発展すると,大量の家屋焼失が生じます.倒壊しただけであればかなりの財産は残るが,火災になればこれは全く失われることになります.

 地震時の火災は,同時多発による消防力分散,建築物・構造物の倒壊や道路損壊による通行障害,消火栓や水道管の破損による水利不足,大量の自動車通行による交通渋滞などの要因が複合して消火活動が大きく阻害され,延焼火災に発展しやすくなります.火災の大部分は建物倒壊や建物内での転倒・落下物によって生じるので,本震の後の短時間内に一斉に出火し,その件数は建物倒壊数に比例して増大します.常備消防は基本的には平常時の火災防御に対応できる規模で整備されており,このような異常事態に対処できる態勢にはなっていません.兵庫県南部地震時の神戸市では,地震直後(午前6時までのおよそ15分間)の出火54件に対し出動可能ポンプ車隊は28と半分程度でした.

 出火現場へ到達するのに道路利用が不可欠ですが,これは道路の亀裂・陥没・崩壊,落橋,建物の倒壊など,および大量の自動車が一斉に動きだすことによる渋滞によって,大きな障害を受けます.神戸では極端な交通渋滞により,消防車両等は火災地点に近づくことが極度に困難でした.この大量通行車両の90%以上は緊急性のない一般車であったと推定されます.また,火災現場に消防隊が到達したとしても消火栓はほとんど破壊されています.

 常備消防力の手が及ばないとなると,あとは地区住民の消火活動に委ねられることになります.しかし,強い震動による被災や恐怖などにより,震度が大きいほど住民による止火(使用中の火気器具の始末)や初期消火(消火器やバケツなどによる消火)の活動は低下します.また肝心の水も水道管の破壊による断水によって得ることができません.かくして地震時には出火の多くが延焼に至り,建物が密集する都市では大火災に発展します.


出火
 火災の発生は,建物倒壊の規模とその建物の用途,および地震発生の時刻・季節・時代などのかなり偶然的な要因の影響を受けます.延焼は気象(主として風速・風向)および市街地条件(主として木造建物の密集度)によって規定されます.関東地震は9月1日の正午前に発生しました.東京は震源から70kmほど離れており,山の手台地面で震度5強,荒川低地で震度6(局地的には震度7)の揺れでした.ちょうど昼食時のことで多くの火源があり,東京市内全体で97箇所から出火しました(郡部では30箇所).地盤が悪いために建物倒壊が多かった荒川・隅田川低地(本所・深川・浅草の各区)および神田川谷底低地(本郷区,駒込区など)において多数出火しました.

 住家全壊率と出火率とは比例的な関係にあり,この東京の出火率は夏の地震時の平均よりもやや大きいという規模のものでした(15.2 出火率と全壊率の関係).出火時刻は地震後10分以内が50%,1時間以内が80%でした.出火原因は,かまど47%,七輪14%,火鉢10%,ガス9%,薬品25%などでした.地震発生の時刻・季節や時代は,使用火気器具の種類に関係します.1968年の十勝沖地震では石油ストーブがかなりの出火原因になったので,対震自動消火装置の設置が義務づけられ急速に普及しました.兵庫県南部地震時の神戸市における地震当日の出火数は109で,その出火原因(不明62を除く)は電気関係39%,ガス関係18%,電気+ガス11%と全くの様変わりの状況となり,地震火災対策の再検討が迫られました.

 関東地震時の東京市内における出火98のうちの27(1/4強)が火元付近で消し止められ,残りの71が延焼に発展しました.飛び火による火元は45で,うち4が消し止められ41は延焼に至りました.結局延焼火元は112箇所でした.この延焼を阻止する初期消火の活動が,大火への発展を防ぐうえで重要です.各家庭や地区住民の活動により初期に消し止められた火災の全火災に占める割合を初期消火率と呼んでいます.これまでの地震火災例では,初期消火率は震度の増大とともに大きく低下しています.震度7の揺れの最中では,反射的に身を守るというのが精一杯で,火を消すといったような意識的行動はほとんど不可能です.住民による初期消火は,出火・炎上,天井着火から1棟火災までの10~20分ぐらいの間で,それ以上の本格的火災の消火は消防隊の役割になりますが,地震の場合には消防隊の到着は大きく遅れます.


延焼
 延焼の方向と速度は,風速および風向とその変化によって決められます.強風下では延焼域は風下に向かって卵形に延び,強くなるにつれより幅狭い帯状になっていきます.関東地震時の東京市では,飛び火を含む112の延焼火災は合流して火流をつくり,58の火系となって延焼拡大し,市域の半分近くが焼失しました.地震当日の朝,弱い台風が若狭湾に抜け日本海を東北東進していたので,地震発生時には毎秒10mほどのかなり強い南風が吹いていました.

 この風によりまず北の方向へ延焼が進行しました.午後5時ごろになって風向は急速に西方向に向きを変えていき,午後9時ごろには強い北風になりました.風は火災により強められて,麹町の中央気象台では午後10時に最大風速21m/秒を記録しました.秒速15mを越える強い北風は2日の午前0時すぎまで続いたので,これにより延焼域は南方向に大きく拡大し,地震の12時間後には最終的な焼失域の80%ほどがすでに焼失ないしは火災域に入っていました(図15.3 東京の火災の拡大経過).完全に鎮火したのは3日の午前8時ごろで,火災は44時間ほど続いたのですが,被害の大勢はすでに1日の夕刻には決まっていました.

 このように風が強くその風向が大きく変化したことが焼失域を広大にし,また,延焼域拡大の速度を大きくして逃げ遅れによる大量死者を発生させた主要因となりました.1855年の安政江戸地震(死者約4千)では起災火元が66箇所あったものの,風は穏やかであったので火災域の合流はほとんどなく,それぞれが出火点付近での部分延焼で収まりました.このため焼失域が関東地震時の1/20ほどで済みました.

 市街地における延焼域拡大の速度は風速が増加するにつれて指数関数的に増大します.関東地震時の東京市では,延焼速度は200~400m/時の場合が多く,最大では800m/時でした.幅300mほどの大川(隅田川)を越える飛び火が4箇所で生じ,対岸にまで火災域が拡大しました.兵庫県南部地震時の神戸では,平均風速が2~3m/秒(最大は約7m/秒)と弱かったので,延焼速度は最小で20m/時,最大で70m/時程度,平均して30~40m/時でした.この遅い速度で16時間にわたりゆっくりと延焼が進行しました.

 横浜市の中心市街の大半は,軟弱な沖積層の厚い干拓地・埋立地に展開しています.関東地震の強い揺れにより,この軟弱地盤域では住家全壊率が80%を超えました.この高全壊率域を中心にし市内全体でおよそ60箇所から出火しました.この出火点密度は東京市におけるそれに比べかなり大きく,出火の大部分が延焼に発展し,延焼域の全体は合体して中心市街の大部分が焼失しました(図15.4 関東地震による横浜の火災).焼失面積はおよそ1,000ha,全宅地の75%でした.火災による死者数は不明ですが(死者総数2.1万),延焼域拡大は非常に速くて多数の人が逃げる余裕なく火災に巻き込まれたと推定されます.

 兵庫県南部地震時の神戸市おける,地震後3日間における建物火災発生数は136です.この大部分は震災の帯とよばれる全壊率30%以上の帯状域で生じています(図15.5 兵庫県南部地震による出火点の分布).これらのうちの約半数が1棟だけの単体火災で,それ以外の多くは出火点周辺の部分延焼で収まっています.焼失区域面積3.3万平方m以上の大火災は7箇所で,これらはすべて木造建物の密集度の高い地区で起こっています.延焼速度は30~40m/時と遅かったものの,最大16時間にわたって燃えつづけ,関東震災時の横浜に次ぐ火災規模になったことの主因としては,水利不足や交通渋滞などによる消火活動の阻害が挙げられます.

 関東地震の大災害を象徴する惨事は,本所区の被服廠跡における火災旋風によって生じました.これは地震から4時間後の16時すぎのことで,北,東,南の3方向から火が迫ってきており,やや強い風が南西の開けた隅田川方向から吹き込むという状況で,火災旋風が発生しました(図15.6 被服廠跡における火災旋風).この空き地には非常に多数の人が家財を持ち込んで避難していたので,死者数は3.8万人(周辺域を含む)にも達しました.東京市で翌2日までに発生した火災旋風の総数は110でした(図15.7 火災旋風発生箇所).横浜では発生が確認された火災旋風は約30で,そのうちの6個は猛烈と分類されています.その多くは川・水路付近で発生し,それに沿って進行しています.

 火災旋風は中心に火炎柱をもつ大気の激しい回転で,火炎気流によって生じた上昇気流が核となり,風速の水平方向への変化が大きいところで発生します.一般の竜巻と同じように火災旋風は,いつどこで起こるか予測しがたい現象ですが,大火災になればどこかで必ず起こるものとしておかねばならないでしょう.


延焼阻止
 東京市の大火災は市域の半分近くを焼いて3日朝にやっと終息しました.延焼を阻止した要因(焼け止まり要因)は,焼失域の全周長にたいする比率で表して,崖及び広場30.0%,風向に平行16.8%,バケツその他による消火15.5%,消防隊による消火10.6%,破壊消防2.5%,樹木12.1%,などでした.兵庫県南部地震の神戸市(総周長16.8km)では,道路・鉄道39.9%,耐火造・防火壁23.6%,空地22.7%,放水等消防活動13.8%でした.1948年福井地震(焼け止まり総周長5.1km)では,消火活動が約24%でした.阻止効果の評価や区分の仕方に違いがあるので単純な比較はできないものの,神戸の場合における消火活動の比率の低さが目立ちます(図15.8 延焼阻止要因).神戸では延焼速度が非常に遅かったものの,消火活動が進まなくて長時間燃え続け,空地や道路などのところでいわば自然に焼け止まったといえるでしょう.

 市街地が強震に襲われた場合,建物の倒壊の規模に比例して出火が生じ,それが多数であるとそのいくつかは延焼へ発展します.折り悪しく強い風が吹いていれば火災域は合流し大規模な延焼火災に至る可能性は大です.強震時には消防活動は大きく制約されるので,空閑地を多く適切に配置して,延焼がそれ以上進行しない条件を作っておくことが基本対策となるでしょう.広々とした住みやすい街は安全な街でもあります.

 東京をM7.3の直下地震が襲った場合,発生時刻が18時で風速が15m/秒という最悪の条件下では,火災による焼失が約65万棟,これによる死者が6,200人といった想定がなされています.火災の危険が高いとされている地区は,木造家屋が密集し不燃化率が低くて延焼危険度の高い地区(都心西側)です(図15.9 東京直下の地震による火災被害の想定).地震発生が5時で風速が3m/秒の場合には,建物全壊は同じ(15万棟)であるのに対し,全焼は4万棟と非常に大きな違いがあります.悪条件下で地震が起こる確率は,地震そのものが起こる確率よりも1桁小さいと考えられますが,いずれにせよ東京における地震火災は巨大な災害をもたらす現実的可能性をもっていることを忘れてはなりません.大東京への集積の更なる進行は,その災害ポテンシャルをますます増大させ,世界で最悪の都市をつくりだしています. 

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